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不器用な父と強烈な母

 父と同じ世界に入った息子は、数々の批判に見舞われた。傷つく息子を、父はどう思っていたのだろうか――。

「オレが悩んでいたことを、親父は分かっていました。励ましとか優しい言葉とかはありませんでした。親父から言われたのは、一つだけ。『まあ、そういうことを書くのが彼らの仕事なんだから。そんなことを気にしていたら、何もできないぞ』と」

 

 父は短く諭した。母はもっと強烈だった。

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「何言われたってケセラセラよ! あんたは野球、やりゃあいいの!」と、落ち込む息子に容赦なかった。

「母親なりの叱咤激励だったんでしょうけど、母親とはよく親子喧嘩になりました。でも、おふくろがあんな風に厳しかったから、言い合いになると、親父がフォローをしてくれましたね」

プロ野球界で27年

 野村が父親としての本音を漏らしたのは、息子の克則が巨人のコーチをしている頃。

「監督として、息子が自分のチームにいるのは正直やりにくかった。それ以上に気に病んでいたのは、克則が『野村の息子』という看板を背負って生きている辛さだった。きっと、ワシには想像もできない重荷だったろう。克則が選手の頃、グラウンドで会話を交わしたのは数えるくらい。克則は周囲に気を遣って、ワシと距離を置いてきた。親子でずっと一緒に野球をやってこられたことが、果たして良かったことなのか、そうでなかったのか……。正直、分からないんや」

 しかし、克則はいまこんな思いを抱いている。

「親父が監督で自分が選手だった頃、辛い、しんどいと感じることは、何度もありました。それでも、親子で一緒に大好きな野球ができるなんて、滅多にないことですからね」

 克則はヤクルト、阪神、巨人、楽天と、選手として在籍した全てのチームのコーチに就任した。途切れることなく、プロ野球の世界にいるのだ。

 

「プロ野球生活も今年で27年目に入りました。こうやってプロ野球の世界で仕事ができているのは、親父のおかげです。

 大切にしているのは、『しっかり野球と向き合う』こと。野球に対してちゃんと取り組んでいるところを、周りの皆さんが見てくれているのだと思っています。“監督の息子”であることを抜きに付き合ってくれましたから」

 生前、野村が繰り返していた「いい仕事は必ず、誰かが見ていてくれる」という言葉を、私は思い出していた――。

遺言 野村克也が最期の1年に語ったこと

飯田 絵美

文藝春秋

2021年6月28日 発売