文春オンライン

〈藤井隆が50歳に〉「本当にやりたい仕事って何なの?」高卒で就職、22歳で吉本から逃亡…『新婚さん』新司会の“履歴書”

3月10日は藤井隆の誕生日

2022/03/10
note

 前出の27歳のときのインタビューでは、子供のときから母親に料理や裁縫を教えられたと語っていた(※1)。母は自宅で洋裁の仕事をしており、藤井たち兄弟の洋服もすべて手づくりだったという。父親も彼が生まれた頃にはタクシー運転手をしていたが、それ以前には大工や調理師などの経験があり、器用だった。家の棚も机も全部父がつくったという。藤井はそんな両親から身の回りのことは自分で一通りできるように育てられたらしい。

 しつけのよさは、ときには後輩芸人への注意の仕方にも表れる。とろサーモンの久保田かずのぶは、藤井と一緒に食事をしたとき、《久保田君、お箸を持ったまま、身振り手振りでお話ししたら行儀悪いと思うよ》などと注意されたという(※3)。

2000年『ナンダカンダ』で歌手デビュー、紅白歌合戦にも出場

先輩・東野幸治も認める「アドバイス力」

 これは吉本興業の先輩である東野幸治が著書で明かした話だが、東野は、一方では藤井のアドバイスによって女性を中心に多くの悩める芸能人が救われてきたとも書いている。たとえば、芸人の椿鬼奴は売れる前、藤井から髪型やメイクなど事細かに指示を受けてきたという。

ADVERTISEMENT

 アドバイスの上手さは、芸能界に入る前の社会経験から培われたところもあるのかもしれない。高校時代にバイトしたスーパーマーケットでは、魚部門の上司から作業効率を考えて無駄を省くよう言われ、商品のラッピングもその教えに従いながら頑張ってこなしているうちにすっかり得意になった。その腕前は、精肉部門や青果部門からもスカウトが来るほどだったとか。