文春オンライン

人の個性や本質は、何をやったかではなく何をやらなかったかに現れる――横山秀夫(1)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2015/04/11

genre : エンタメ, 読書

note

一時は主人公の名前も思い出せない状態に

――刑事部の気持ちも警務部の立場も分かる三上は狭間に立たされる。さらに記者クラブの反感を買うし上司から無理を言われるし、部下の面倒も見なければならないし、家庭では年頃の娘の失踪という問題を抱えている。主人公に相当負荷を与えましたね。

横山 小説を書く時は「人間は誰も皆同じ」「同じ人間は存在しない」の両面を念頭に置きますが、そのどちらを表現するにも負荷は欠かせない。そんな思いから作法も『陰の季節』と『動機』の時から、主人公に強い負荷を与えて物語を推進させてきました。この2作は短編集でしたが、さあ今度は長編だとなった時に、生半可な負荷では書き抜けないと思ったんですね。意気込みというか、気負いというか、それで勢いで三上にとんでもない重荷を背負わせてしまいました。結局のところ、デビューして間もない私には、あれだけの負荷を引きずりながら物語を紡いでいく力がなかった。かけた負荷が自分に返ってきてしまって押しつぶされたんですね。短編であれば、裏側の見えない月のような主人公設定も可能ですが、長編では完全な球体として描く必要がある。そんな思い込みが、ロクヨンの森に迷い込んだ理由の一つでもありました。

――最終的に仕上げている頃、途中で一時期、記憶力があやしくなったそうですね。

ADVERTISEMENT

横山 最初に変だと思ったのは、大好きだったニューヨーク・ヤンキースの選手の名前が1人も浮かばなくなった時でしたね。松井秀喜さんはともかく、ジーターやA・ロッドやリベラといったスーパープレーヤーの名前がどうしても出てこない。そうこうするうちに担当編集者の名前が思い出せなくなった。ついには毎日書いていた『64』の登場人物も。三上すら出てこない。真っ青になりましたが、ここで逃げたらもっと大変なことになると思ってパソコンに齧りついていました。でもね、おっ、いい言い回しが浮かんだなと思って書くと、5行くらい前にまったく同じ言い回しが書いてあるんですよ。5行前にもいい言い回しが浮かんだと思って書いたのでしょうけれど、そのことすら忘れている。まあ、あれじゃ小説なんて書けっこないですよね。

 

――そこからよく復活を……。

横山 庭の草むしりに救われました。他にできることもないのでやっていたのですが、やりだしたら夢中になって。どんなことでもいったん手をつけたらとことんやらないと気が済まないタチなので、庭を紐で仕切り、今日はこの区画をやろうと決めて、虫メガネでないと見えないような雑草まで1本残らず抜きました。最後の区画を終えた時には、最初の区画に雑草が生えてくるのでエンドレスです。それがよかったんでしょうね。無心になれた。頭の中が空っぽになった。記憶が飛んだ時も頭は空っぽの感覚でしたが、実際にはギュウギュウ詰めの状態だったのかもしれません。で、ある日、草むしりをしていたら、ヤンキースの選手の名前がポッと浮かんだ。走って家に戻ってパソコンの前に座ったら少し書けた。次の日も草むしりの最中にタタタタタと人の名前が出てきて、また少し書けた。そんなことを繰り返しているうちに庭に出る時間がどんどん減って、最後の最後には、ちぎっては書きちぎっては書きの絶好調状態に戻っていました。代わりに庭は雑草天国になっちゃいましたけどね(笑)。

――事前にプロットを組み立ててはいなかったのですか。

横山 ミステリー部分の骨組みだけは出来ていました。短編を書く時でも、もちろんプロットめいたものは頭の中で作りますよ。でも日頃、思いついたアイディアや人物造形を書き留めておくようなことはしません。漫画の原作を書いていた時代の教訓ですね。「明日までに6本プロット出してください」なんて無茶を言われて、うんうん唸って捻り出すんですが、例外なく最初にピンときて書いたプロットが1番面白いんです。2番目が2番目に面白く、3番目は3番目。後になるほどクオリティが落ちるわけです。だけど、6本書いたことで6本ネタを持っているという安心感が生まれてしまう。もっと面白い話を考えようという意欲が薄れ、追い詰められたら5番目6番目のネタにしがみついて駄作を放出しないとも限りません。なので、作家になってからもネタ帳は作らず、短編は執筆依頼が来てから、よーいどんで何を書くか考えるようにしてきました。まあ、何も浮かばない可能性もあるわけですから、とっても危険なんですけどね(笑)。

 ええ、夜中にものすごく面白い話が浮かんでもメモしませんよ。たいていは翌朝思い出そうとしても思い出せない。つまりはそれしきの話だということですよね。真に面白い話であれば何年経っても必ず思い出します。それは取りも直さず自分が本当に書きたい話だという証でもあるわけですから、仕事の依頼が来ると、頭のどこかからそれらの話を引っ張りだして、幾つも組み合わせたりしながらプロットを考えていく。『64』も最初はそうでしたね。