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〈渡辺徹さん死去〉極貧の少年時代、一念発起して家を建てた父、その家で新妻の榊原郁恵は「夏のお嬢さん」を歌った

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2022/12/02
note

「俺も感動しました、親父、スゲエなって」

 6年生の終わりに左膝を故障し、サッカーは断念せざるを得なくなる。中学では吹奏楽部に入部し、部長を務めた。

 本当はトランペットをやりたかったんだけど、1年生は3年生が引退して空いた楽器を引き継ぐので、サックスをやる破目になった。サックスも悪くないと思うでしょ。ところが、サックスにもいろいろ種類があって、僕の担当はバリトンサックス。譜面を見て愕然としましたね、低音部のヘ音記号ばかりなんですよ。ヒーローにヘ音記号はいらないんです(笑)。だから、ビートルズの『イエスタデイ』のソロのとき、目立つように思い切り吹いたんですよ。そしたら、引っ張り過ぎだってスゲエ怒られたな(笑)。

 3年生のときには「TBSこども音楽コンクール」で優秀賞を取ってラジオでオンエアされました。僕は部長だったので、インタビューを受けたんです。「僕たちは~頑張ってますから~」ってひどい茨城訛りでしたけどね(笑)。

 高1の春に父親が埼玉県北川辺町(現在の加須市)に念願の一戸建てを建てる。父親の実家の農地を譲り受けたが、二階建ての広くて立派な家だ。この家には今も両親が住んでいる。

 親父が病気をしたとき、家計はどん底で、いくらおふくろが内職をしても追いつかなかった。僕も子供心に遠足はお金がかかると思ったので、お知らせの用紙を隠してたんです。子供にまで金の心配をさせたことを知った親父は、「これはイカン」と思ったんでしょうね。「俺は頑張って1からやり直す。10年後には家を建てるぞ」と宣言したんですよ。正直、無理だろうと思ってました。ところが、10年後に本当に約束を果たした。これには俺も感動しました、親父、スゲエなって。

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1987年3月、榊原郁恵との婚約会見 ©共同通信社
榊原郁恵の『夏のお嬢さん』

 一階に八畳と六畳の和室を作ったんですが、これは楽器置場に加えて、年末の大宴会を思い切り広い所でやりたかったからですよ。そのために建てた家みたいなところもある。そういえば、女房(榊原郁恵さん)の親戚へのお披露目も大晦日の大宴会のときだったな。そこでみんなに受け入れられて結婚できた。何せ女房はうちの親父の伴奏で『夏のお嬢さん』を歌わされましたからね(笑)。

(取材・構成 大西展子)

〈渡辺徹さん死去〉極貧の少年時代、一念発起して家を建てた父、その家で新妻の榊原郁恵は「夏のお嬢さん」を歌った

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