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津波で破壊された街を猛火が襲い、残された黒焦げの遺体…「どうやって救助すればいいのか」自衛隊元隊長“12年目の告白”

東日本大震災から12年、元隊長が「逃げて」と訴える理由#1

2023/03/11

genre : ライフ, 社会

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 岩手駐屯地の所属部隊は、岩手県内で災害が起きた場合の担当地区をあらかじめ決めていて、第9高射特科大隊は海側から釜石市、大槌町、遠野市、花巻市、紫波(しわ)町の5市町だった。日頃から出動計画を作成しており、津波が想定される地震では約120km離れた釜石市を目指すことになっていた。このため前進目標を釜石市としたのである。ただし、現地の状況はよく分かっていなかった。

 道路は大渋滞していた。隣の盛岡市までだけで約2時間も掛かった。

 そのうちに、最初に出動した中隊長から「途中の遠野市で部隊を一度集結させたい」と連絡が入った。中武さんも、車両がバラバラになった大隊を遠野市で整えてから、隣の釜石市の現場へ向かうべきだと考えた。車両は運動公園に集結させ、自身は遠野市役所へ向かった。少しでも現地の情報が得られないかと考えたのである。

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真っ暗な夜空が赤味を帯びているようにみえた…

 午後8時ごろに到着した遠野市役所では、相次ぐ余震を警戒し、屋外のテントに災害対策本部が設けられいた。「うちも釜石市に出掛けている職員と連絡が取れないんです。現地の状況が分からなくて」と市長や災害担当の総務課長が口をそろえる。

「道は通れそうですか」と尋ねたが、状況を把握している人はいなかった。

「よく分からないけど、向かうしかない」。そう決めた中武さんは全隊に出発を命じた。まさにその時、師団長から「今、どこにいるのか」と連絡が入った。

「遠野市です」と答えると、師団長は「岩手県庁が『大槌町役場と連絡が取れない』と心配している。テレビでは街が燃えている様子が流れている。行き先を大槌町に変更してくれ」と命じた。

 大槌町の方を見上げると、確かに真っ暗な夜空が赤味を帯びているように見えた。40kmも離れた遠野からそう見えるのだから、ただごとではなかった。

文字通り壊滅した大槌町。その向こうには、大津波を引き起こしたとは信じられないほど穏やかな海(2011年3月12日、中武裕嚴さん提供)
 

 大槌町へ行くには、遠野市から国道283号で山越えし、海に面した釜石市の中心部へ入る。そこから北に進路を変え、国道45号線を走るのが通常のルートだ。しかし、国道45号線には海岸沿いの箇所があり、津波でどうなっているか分からなかった。

 もう一つ、山越えの細いくねくね道になった県道があった。だが、冬期は積雪で通れるかどうか分からない。そもそも柵で封鎖されて通行止めになっているはずだった。

 中武さんは大隊を二つに分けた。半数は自ら率いて国道を走り、残りは山越えの県道へ進ませた。

「国道隊」は釜石市には入れた。しかし、そこからの国道45号線が浸水して進めなかった。脇道を探したが無理だった。

 それでも先へ進む方法はないのかと、考えあぐねていた時に、「県道隊」から「大槌町にたどり着きました」と報告が入った。柵は先に通った警察が開けていたらしい。