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津波で破壊された街を猛火が襲い、残された黒焦げの遺体…「どうやって救助すればいいのか」自衛隊元隊長“12年目の告白”

東日本大震災から12年、元隊長が「逃げて」と訴える理由#1

2023/03/11

genre : ライフ, 社会

「これで、どうやって救助すればいいのか」

 やっとの思いで到着した津波被災地は、街が完全に破壊されていただけでなく、真っ赤な炎に包まれていた。

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。

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 派遣要請で駆けつけた自衛隊の大隊長は現場に立ち尽くした。この部隊は津波被災地でも最も被害が酷かった岩手県大槌(おおつち)町や隣の釜石市鵜住居(うのすまい)地区へ最初に入り、逃げ遅れた人の救助や犠牲者の捜索に当たるのだが、状況はあまりに悲惨だった。

 あれから12年が経つ。震災そのものを知らない世代が増えただけでなく、事実も忘れられつつある。壮絶な現場で活動した大隊長の目を通して、あの日を振り返る。

街が瓦礫と化した大槌町中心部。取り残された住民の救出に向かったが、煙で白くなっている。教訓を後世に伝えるため、記録できる限りの全てを撮影するよう、中武裕嚴さんは部下に命じた(2011年3月12日、中武さん提供)

 岩手県で唯一の陸上自衛隊基地となっている「岩手駐屯地」は滝沢市(震災時は滝沢村)にある。西に岩手山、東に姫神山。秀麗な山峰が並び立つ風光明媚な場所だ。

 ここにはいくつかの部隊が駐屯しており、第9高射特科大隊もそのうちの一つだった。空からの攻撃をミサイルで迎撃する部隊である。

 あの日の午後2時46分、大隊長を務めていた中武裕嚴(ひろよし)さん(60)は隊舎の自室にいた。

「隊舎を出ろ!」

 いきなり激しい揺れが始まり、すぐに2回目の揺れが続く。「隊舎を出ろ!」。全員を屋外に退避させると、3回目の揺れに見舞われた。「古い木造の隊舎は潰れるのではないかと思ったほどでした」と振り返る。

 すぐに指揮所を開設して、情報収集に当たった。と、同時に出動の準備を始めた。県知事からの派遣要請が、ほどなく届くに違いなかったからだ。数多くの災害現場に派遣されてきた経験から、極めて大きな被害が出ているだろうことは疑う余地もなかった。

 この時、駐屯地にはほぼ全隊員がいた。というのも、前日から徹夜で「応急出動訓練」をしていたからだ。突発的な紛争や航空攻撃があれば、即応して部隊を展開しなければならない。その初動の訓練を夜通し行い、片づけが終わろうかという頃に発災したのだった。

 訓練明けで疲れているなどと悠長なことは言っていられない。隊員達は災害派遣に必要な機材を次々と車両に積み込んだ。

 第9高射特科大隊には三つの中隊がある。そのうちの最初に準備が整った中隊は午後5時頃に出動した。中武さんもそれから約30分後に1隊を率いて出発し、さらにもう1隊が続く。3隊で計約60台の車両に約100人が乗り込んだ。駐屯地で最低限必要な人数を残して派遣できる最大の隊員数だった。

 行き先は釜石市だ。

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