東日本大震災の被災地には多くの自衛隊の部隊が派遣された。中でも第9高射特科大隊(岩手県滝沢市)が向かった岩手県大槌町の現場は悲惨だった。
当時の人口約1万5300人のうち、発災当初は半数の安否が分からなくなったほどだ。犠牲者数は一つの町だけで1286人を数えた。
#1に続き、派遣部隊を率いた元大隊長、中武裕嚴さん(60)の記憶をたどる。
2011年3月13日、大槌町での活動開始から2日目の朝を迎えた。
また捜索を開始したが、午前中に師団司令部から連絡が入った。
「大槌町には青森県から別の部隊が入る。第9高射特科大隊は明日から釜石市の鵜住居地区へ回れ」という内容だった。
そもそも釜石市には第9高射特科大隊が向かう予定だった。進路を大槌町へ変更したのは、役場と連絡がつかなくなっただけでなく、街が炎に覆われていたからだ。釜石市で代わりに活動したのは秋田県から派遣された連隊だった。だが、釜石市の津波被害も甚大で、しかも浦という浦が被災していた。当然、秋田の連隊だけでは捜索に手が回らない。
このため、大槌町と同じ大槌湾に面する鵜住居には、第9高射特科大隊が移ることになったのだ。
到着30分で見つけた1歳半の女の子の遺体
釜石市の中心部からだと、釜石湾の北に両石湾があり、さらにもう一つ北に大槌湾がある。
第9高射特科大隊を指揮した中武さんは、翌日から活動するにしても、どのような状態か分からなければ態勢も整えられないと考えた。そもそも鵜住居にまとまった部隊が入るのは初めてだったのである。
そこで13日は大槌町内で捜索に当たる3個中隊を現場に残し、午後から大隊本部の要員約10人を連れて鵜住居へ偵察に向かった。
現場に到着すると、大槌町の惨状に勝るとも劣らない酷さだった。
街は完全に破壊されていた。瓦礫は身の丈以上に堆積していて、郵便局などかろうじて形だけ残った建物が見えた。釘などを踏まないよう足元に注意しながら瓦礫に足を踏み入れる。堆積物があまりに多すぎて人が隠れてしまいそうだった。
現地に到着して30分もしないうちに、遺体を発見した。
車の中で1歳半の女の子が亡くなっていたのだ。
「顔が真っ白で、お人形さんのようでした。まるで眠っているかのように見えました」
近くでは、タクシーの中で運転手が倒れるようにして息を引き取っていた。
2階建ての市施設「鵜住居地区防災センター」の屋上には、塔のような出っ張りに引っ掛かったままの遺体もあった。