東日本大震災にともなう東京電力・福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)の事故から9年。さまざまな時の経過が流れたことだろう。当時、福島第二原発(福島県富岡町、楢葉町)で事務員として働いていた真美さん(40代、仮名)も、大きく運命が変わった一人だ。10年目の前に、避難先のいわき市内で話を聞いた。
「現場の作業はしないので、被曝放射線量は低いです」
筆者は震災後、原発で働いていた女性たちの取材をした。作業員の男性の話は当時、数多く報道されていた。しかし、ある取材で、原発で働いていた女性に出会った。原発で働くとなると建屋内での作業者をイメージするが、女性はどんな仕事をしているのか。そんな関心から始まり、ツテを頼って、何人かと会うことができたうちの一人が真美さんだった。
真美さんは震災当時、富岡町在住。職場は3次請負の事務作業で、8年間、仕事をしていた。手取りは15万円程度。月給にすると、同じ地域のパート労働者よりも、数万円ほど高かった。やがて同じ原発で作業員として働く男性と結婚する。子どもが一人いた。
「現場の作業はしないので、被曝放射線量は低いです。会社としては、作業員の被曝線量を管理しています。検診をしたり、ホールボディカウンターの数値を3か月に1回チェックしていました。
(年間の被曝線量の計算上)3月31日を過ぎると、ゼロに戻ります。決まった線量を超えると、作業員は働けなくなります。その場合は、作業員が足りなくなりますので、新たに登録をする人が必要になります」
以前は犯罪者が紛れ込んでいたことも
どんな人でも作業員になれたのだろうか。
「作業員になるには入所試験がありましたが、落ちる人はあまりいませんでした。知っているなかでは過去に一人だけ落ちましたが、2日目の試験で追加合格していました。あとは、健康診断と経歴を見ますが、私が働いていた3次請けの会社では、所長が確認します。そして2次請けの会社がOKを出せば、基本的には大丈夫です。
ただ、いろんな人がいます。以前は犯罪者が紛れ込んでいたこともあります。見極められません。うちの所長は、更生していればいいという考えでした。4次請けになると、派遣や臨時の作業員が多くなっていました。実際に、どんな人なのかはわからないことが多いんです。というのも、事務員と作業員はなるべく会話をしないことになっていたからです」
真美さんが働いていた会社の事務員は女性が複数人いた。働き方もさまざまで、例えば、午前中は第一原発、午後には第二原発で働く人もいたが、真美さん自身は一日中、第二原発の事務所で作業をした。