今後はどんな生活を考えているのか
震災前の2010年10月末段階で外国人労働者は3767人だったが、震災が起きた翌年10月末には2493人と、3割減少した。しかし、2012年10月末には2812人と増加に転じ、2019年10月末には9548人で、前年比17.4%増。震災前の2010年10月と比べると、約2.5倍となっている。
「ただ、外国人に家を貸してくれる人が見つからないんです。この前も、同僚が家を見つけて、下見をしていました。地元の人なら借りないようなところでした。ようやく見つかっても不便な場所です。大雨のときは私が送迎したりしています。普段は2~3キロでしょうか、自転車で通勤しています。コンビニも近くにないです。夜、外国人が出歩いていたら不審がられるので、外出を控えるように言われています」
離婚から2年。今後はどんな生活を考えているのか。
「もうすぐ子どもが高校を卒業します。今の家を建てて5年ほどになりましたが、『ここにいる必要もないのかな?』と思っています。震災後にきた場所なので、近所に知り合いもいないし、離婚したので、一人になります」
「遺伝子ってすごいな、って思います」
住まいをどこにするのかはまだ考えられない。震災前に住んでいた富岡町の家は、すでに作業関係者に貸しているので、帰ることもない。どこかの地域でマンション生活をしようかと悩んでいる。前の夫からの暴力と浮気のトラウマはまだ残っている。
「離婚したことはよかったんですが、毎日、思い出します。朝起きた瞬間とか、毎日の生活習慣の中に、記憶が残っています。離婚前、仕事に行くのに、前夫よりも先に起きていました。今は子どもよりも先に起きて、ご飯を作っている、といったことでもイラっとします。それに、子どもの仕草とか、匂いが、前夫と似ているところがあって……。遺伝子ってすごいな、って思います。夜は夜で、引きずり回されたことを思い出します。塞ぎ込んでずっと寝ていたいと思うこともありますが、子どもがいるので、それもできません」
震災から9年が経つが、自分の人生の変化について、こう考えている。
「前夫との関係でいえば、浮気は事故前から知っていました。でも、私の人生を変えたのは原発事故です。事故がなければ、今の会社には入ってないです。今の会社は楽しいので、転職してよかったです。前夫は、精神的賠償のお金が入ったので、浮気が激しくなったと思います。原発事故がなければ、離婚せずに、浮気を続ける夫の介護まで面倒をみなければならなかったでしょうね。そう考えると、よかったかもしれません」
写真=渋井哲也