「私たちは見殺しだろうと思っていたんです」
2011年3月11日は、点検作業が終わったために、4次請け会社の作業員4人の雇用を解除していた。この手続きは午前中で終わった。作業員は建屋に入ると、線量計が手渡される。その数値を合計すると、蓄積線量がわかる。それをA4の用紙に記入した線量通知書を作成する。通知書を作業員たちに手渡していたところ、地震が起きた。14時46分のことだ。
「這いつくばるようにして机の下に逃げました。近くの男性が『大丈夫だから……』と言っていました。女性の事務員に『とりあえず、廊下へ逃げよう』と言われて、廊下に出ようとしました。でも、冷蔵庫が移動してドアの前にあって、観音開きになっていました。
その後もちょっとだけ揺れて、また揺れる。その繰り返しでした。脱出不可能だ、と思っていました。“安全神話”は持っていませんでした。もともと、原発で何かあったら、私たちは見殺しだろうと思っていたんです」
その後、なんとかビルから脱出ができ、敷地内のグラウンドに集められた。すると、携帯電話で「津波10メートル」との情報を得ていた人がおり、女性だけでも先に帰宅させようとなった。真美さんは同僚の車に同乗し、帰宅しようとするが、国道6号は双葉警察署付近まで数キロにわたって混雑していた。
帰宅すると停電だった。夫は第一原発の作業員だったが、夜勤だったために自宅にいた。一緒に子どもを迎えに学校へ向かった。しばらく、親子3人で車の中にいたが、職場が心配だった夫とともに第一原発に行こうとした。すると、途中で警察官に止められる。電話をするが、ほかの作業員は電話に出ない。どうすることもできず、浪江町の実家へ避難することにした。
震災から8年目、夫の浮気が発覚した
その後、葛尾村、会津地方、埼玉県、東京都、群馬県、千葉県を転々とした。4月になって、会社から割り当てられたいわき市のアパートに住む。子どもはいわき市内の学校に転校した。富岡町は、同じ福島県内の三春町内で小中学校を再開したが、住まいからは遠いので選択肢にはなかった。それからずっといわき市内に住んでいる。
これだけ聞けば、家族3人で避難生活をし、一緒に協力しあって、困難を乗り越えてきたように見えなくもない。しかし、そんな簡単な話ではない。実は、震災から8年目を迎えようとしたとき、夫の浮気が発覚した。相手は、同じ会社に勤めている20代の女性だった。子どもが夫の古い携帯をいじっていたときに、LINEの履歴を見つけてしまったのだ。
しかも遊べたのは、人に出会う機会が増えたからだけではない。原発事故の避難者には、精神的賠償として一人当たり毎月10万円が東京電力から支払われた。その賠償金はすべて夫の口座に入った。真美さんは総額を知らない。
「当初は、東電のお金は、子どもの将来のために貯めておこうと思ったんです。しかし、実際には、その賠償金を、浮気での遊び金に回したのではないか、好き勝手やっていたんじゃないかと疑っています。いつまで口座に振り込まれていたんでしょうかね」