全国の暴力団構成員が昨年末の時点で約9900人となり、警察庁が統計を取り始めた1958年以降で初めて1万人を割り込むことがわかった。
警察庁は毎年末時点で把握した全国の暴力団の組織編制や構成員数などの統計データを翌年の春に公開している。今回の「1万人割れ」情報は、警察当局から独自取材によって事前に入手したものだ。
1992年に施行された暴力団対策法によって繁華街での用心棒代の徴収などが禁じられ、2011年までに全国で整備された暴力団排除条例によって法人や個人による暴力団への利益の提供も規制された。「シノギ」と呼ばれる資金源を失った暴力団は着実に人数を減らしてきたが、ついに1万人という大台を割ったことになる。
最も暴力団員が多かったのは東京オリンピックの1年前
警察庁が全国の警察本部からデータを収集して暴力団勢力の実態を調査するようになった1958年、暴力団の構成員は約5万3700人だった。統計史上、最も構成員が多かった1963年には、約10万2600人と記録されている。
1963年は翌年に国内で初めて開催される東京オリンピックを控え、世界各国から競技の観戦や国内観光で多くの外国人訪問客が見込まれていた。
そのような状況でヤクザが10万人も存在することに「警察は何をしているのだ」という批判の声が大きくなり、全国の警察は摘発の強化に乗り出した。その効果はすぐに出て、1965年には9万1000人とピークから1万人が減少。以降も減少傾向が続き、1985年には5万8800人となったが、1986年には約6万5200人と増加に転じた。
背景には国内が好景気に沸いたバブル経済があった。
バブル経済は1989年にピークに達し、年末に日経平均株価は当時最高値の3万8915円を記録した。
表経済の活況は、闇社会と呼ばれる暴力団にも波及した。バブル期には不動産開発のために地権者らに立ち退きを求める「地上げ」ビジネスが暴力団業界に持ち込まれ、億単位のカネが動いた。「経済ヤクザ」と呼ばれる暴力団幹部は地上げで得た巨額資金を株式市場で運用し、さらに資金を膨らませた。