当時を知る指定暴力団の古参幹部は、その空前の好景気を懐かしそうに振り返る。

「地上げの仕事は毎月のように入ってきた。数千万円の案件が次々にあり、縄張りの繁華街のクラブやパチンコ店からも今では考えられないような額が集まった。財布は1万円札でパンパンに膨れていたが、『宵越しのカネは持たない』という空気が強く、毎日のように夜の街に繰り出していた」

 しかしバブルが崩壊し、1992年に暴力団対策法が施行されると、ヤクザたちの様々な活動が規制されるようになり、暴力団業界も急速に縮小へ向かった。それでも1994年以降はしばらく4万人台で推移していたが、2011年までに全国で整備された暴力団排除条例によって、2021年以降は1万人台まで減っていた。

ADVERTISEMENT

6代目山口組の高山清司若頭

「昔は『いい女を連れて、格好良い車に乗って』という時代も…」

 暴排条例が施行された時期にちょうど刑務所にいたある指定暴力団幹部は、出所時の衝撃をこう語る。

「ムショに入る前と出てからでは、環境がまったく変わっていて驚いた。かつてシノギで交流があったカタギの旦那衆から『新しい条例で禁じられているので、これからはお付き合いできません』と申し入れがあり、受け入れざるを得なかった。シノギはほかにもあるからヤクザは続けるが、難しい時代になったものだ」

山口組弘道会本部で、「特定抗争指定暴力団」に指定されたことを示す標章を貼る愛知県警の捜査員ら ©時事通信社

 一方で30代の若手の元組員の中には、暴力団を抜ける人間も増えている。かつて指定暴力団に所属していた男性は「現在は建設関係の仕事に就いている」と打ち明ける。

「昔は『いい女を連れて、格好良い車に乗って』という時代もあったと聞くが、自分がヤクザになった頃はすでに風向きはよくなかった。10代のころに建設関係の仕事をしていたので、今も元に戻っただけで違和感はない。辞める時は特に引き止めも受けず、円満に抜けられてよかった」

 かつては脱退にあたって、手の指を切断するいわゆる「指詰め」が行われることもあったが、「指詰め」を無理強いした組織の幹部が強要や傷害容疑で摘発されるケースがあり、近年はこのような習慣はほぼ行われていないという。