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「『俺って1人で電車にも乗れないんだ』と情けなく感じた」高校生で視力の95%を失い、白杖で生活…全盲になったスケーター(23)が語る、“障がい者への偏見”

ブラインドスケーター大内龍成さんインタビュー#2

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鍼灸師の資格を取るため、埼玉の職業訓練学校に進学

ーー中学校は地元の公立校、高校は特別支援学校と、環境が違う学校に通われた大内さんですが、特別支援学校で良かった点はありましたか。

大内 特別支援学校で得られたことは、決して俺だけじゃないんだということですね。見えないのが普通の環境だったので、寂しさは感じなかったです。人数も少ないから生徒も先生も家族みたいなんですよ。アットホームで暖かい空間でした。

 どちらも経験できたのは僕にとってすごく良かったんですよね。見えない人の中にいる自分と見える人の中にいる自分。自分の中にあった“普通”という概念がいい意味で崩れた気がしました。

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ーー大内さんは高校卒業後、地元の福島県を出て、埼玉県にある職業訓練学校で鍼灸師の資格を取るために寮生活を始めました。その進路はどのように決めたのでしょうか。

大内 スケートボードに携わる仕事がしたかったんです。高校生の頃から、周りに「俺はスケボーで飯を食ってやる」と豪語していました。本気でそう思っていたわけではないけど、周りに言うことで自分を奮い立たせていたんだと思います。でも高校3年生の頃に、現実的にそれは難しいかもなと思い始めて。それで鍼灸師だったらスケーターのことを治療できるからと、進学することに決めました。

 寮生活になることで親元を離れるのはすごく寂しかったけど、自立するにはいい機会だと思いました。

 

ブラインドスケーターと鍼灸師 二足の草鞋での生活

ーー埼玉での生活はいかがでしたか。

大内 寮では個室が与えられて、基本的に身の回りのことは自分でやるんですが、その経験はすごく良かったですね。それに埼玉だと電車での移動も多いので、駅員さんに付き添ってもらいながら電車にも乗ることができるようになったし、なによりスケーターの友達も増えて。地元にいた時よりも人と関わる機会が増えました。

 勉強は昔から苦手だったので、国家試験の2ヶ月前から死ぬほど勉強して。1日10時間とかやっていたんですよね。それで無事に今年の2月に資格を取得しました。4月から埼玉県で鍼灸師として働き始めました。寮を出て完全な一人暮らしをしています。