16歳の時に事故で両足を失い、車椅子で生活するモデル・インフルエンサーの葦原海(あしはら みゅう)さん(25)。可愛らしいルックスや底抜けの明るさで人気を博し、TikTokやYouTubeを中心にSNS総フォロワー数66万人(2022年12月現在)を誇る。東京2020パラリンピック閉会式やミラノファッションウィークへの出演など、世界的にも注目されている。

 そんな彼女に、両足切断の経緯や退院後の車椅子生活について、そしてモデル活動を始めたきっかけなどを聞いた。(全2回の1回目/2回目に続く)

モデル・葦原海さん ©三宅史郎/文藝春秋

◆◆◆

ADVERTISEMENT

事故の詳細についてあえて話さない理由

――海さんは、TikTokやYouTubeなどで車椅子ユーザーの日常生活や両足切断の経緯などを公開されていますよね。あらためて、両足を切断された経緯や事故の状況についてお聞かせいただけますか。

葦原海さん(以下、海) 16歳の時に交通事故に遭いました。ただ最初にお伝えしておきたいのですが、私は事故の詳細について、あえて話さないようにしていて。

――それはどうしてですか。

 あくまで事故は、当事者同士の話だからです。加害者にも、私と同じように大切な家族がいるはず。でも、私がメディアなどで事故の話をすれば、加害者が特定されて、第三者から必要以上に叩かれたりするかもしれませんよね。「両足切断」のようなケースは稀だから、特定しやすいとも思いますし。

 それに私は前を向いて人生を歩んでいるのに、過去の事故の話をしても、誰も幸せにならないと思うんです。

両親が下した「より生きる可能性が高い選択」

――それはおっしゃる通りですね。

 それに、事故の前後については記憶がありません。事故後しばらくは意識不明で、生死の境をさまよっているような危険な状態でしたから。なので「足を切断するかどうか」も、私ではなく両親が決断しました。

 病院に到着した両親は、医師から「足を切断しないと最悪、死に至る」と告げられたそうです。もちろんかなり悩んだようですが、「より生きる可能性が高い選択」をしたと聞きました。ただ、当時の私がまだ16歳だったことも考慮して、親と医師は容体が落ち着くまで、私に切断の事実を伏せていたようです。

――意識を取り戻した時はどんな状況でしたか。

 数日経って意識が戻ると、足全体に包帯が巻かれていて、両腕には点滴の針が刺さっていました。医師からは「骨盤にひびが入っているから、あまり動かないように」と言われたけれど、「それだけで済んでいるわけがない」と直感でわかりました。

 でも全身麻酔で感覚もないし、鏡で自分の姿を確認することもできなくて。ただ、生きていることが奇跡なんだな、とは感じましたね。