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16歳で交通事故に遭い、医者は「足を切断しないと死に至る」と…両足を失った“車いすモデル”葦原海(25)の壮絶な過去

葦原海さんインタビュー #1

2022/12/17
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車椅子生活に「不自由」は感じたけど「辛い」と思うことはほとんどなかった

――車椅子に乗るのも大変だったのでは。

 リハビリと並行して、車椅子に乗る訓練もしていきました。ある日、両親が面会に来た時、運動音痴の私が車椅子を乗りこなしていたから、びっくりしたようです。

――退院後の生活は?

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 日常生活で必要になるトイレやお風呂には退院前に慣れておいたので、そんなに大きな問題はありませんでした。実家はそれほど古くないマンションで、段差も少なかったのでバリアフリーリフォームもしていません。

 ただ、自分専用の車椅子ができる前に退院してしまったので、市からレンタルしたものを使わないといけなくて。体のサイズと全然合わなかったから、そこに関してはしばらく不便でしたね。それでも、大きな車椅子に乗って友達とディズニーランドとかに行ってましたけど。

――とても前向きですね。

 私は「不自由だから辛い」とは考えていなくて。今でも家に入る時には家族の助けがないと入れないし、どうしても自分ひとりではできないことが少なからずあります。

 たしかに、車椅子生活になって「不自由」は感じたけど、「辛い」と思うことはほとんどありませんでした。

小さい頃は大道具のスタッフに憧れていた

――事故の後、高校には戻ったんですか。

 いえ、最終的には戻りませんでした。私はテレビの大道具スタッフになるのが夢で、中学生の頃からずっと通いたい専門学校があったんです。

 でも入院期間が長かったので、卒業までの単位が足りなくて、留年しなければならないと分かって。泣く泣く復学は諦めて、少しでも早く卒業できる特別支援学校に行くことにしました。

――ちなみに、どうして大道具のスタッフになりたかったのでしょうか。

 小学校高学年の時、父の転勤で名古屋から千葉に引っ越しました。学校では言葉のイントネーションの違いで同級生にからかわれて、なかなか馴染めなくて。それで、テレビドラマに夢中になりました。ドラマを観て、標準語のイントネーションを少しでも身につけようと思ったんです。

 ある時、年末の特別番組でドラマのNG特集を観ていて。その番組中に、俳優さんの後ろで舞台セットを動かしているスタッフさんが映って、「この仕事はなんだろう?」と興味を持って調べてみたんです。そのときに、大道具の仕事は私にぴったりだと思いました。元々ものづくりが好きだったから。