なぜ両足切断の事実を知って「すっきりした」のか
――足については?
海 麻酔で痛みもなかったし、「幻肢」があったので、足がないことに気づかなかったんです。
――「幻肢」とは。
海 切断したのに手足があるような錯覚に陥ることです。だからベッドで横になっていても、足を伸ばしている感覚がありました。
今でも、車椅子に乗っているとペダルを踏んでいる足先の感覚があります。「幻肢痛」といって、私の場合は常に足が痺れているような感覚もあるんですよ。
――「足がない」と気づいたのは?
海 初めて気がついたのは、シーツを直そうと何気なく太もものあたりを触ったときかな。「あ、足がないかも」って。でもラップや包帯で何重にも巻かれているから、正直どこから足がないかすらわからなかった。
だから診察に来た医師に「私、もしかして足がないんですか?」って聞きました。医師も私が気づいたことに驚いたようですが、その後両足を切断した事実を告げられました。
――両足切断の事実を知った時は、かなりショックを受けたのでは。
海 いや、これからずっと車椅子を使うとか、もう自分の足で歩けないことへのショックは不思議となかったんです。それよりも、「すっきりした」というか。それまで自分の身体の状態がわからずモヤモヤしていたから、やっと全貌が掴めた感じでした。
それに意識が戻ってからの数日間で、「絶対に無傷なわけがない」と感じていたからこそ、「生きていることへの感謝の気持ち」のほうが大きかったかな。
アクティブなタイプだったのでとにかく早く退院したかった
――意識が戻ってから少し時間が経っていた分、ある程度覚悟ができていたと。
海 そうかもしれません。あとは、とにかく早く退院したかったんです。足を切断したと医師から聞いたとき、一番最初に出た言葉が「いつ退院できますか?」だったらしくて(笑)。母も「この時はさすがにびっくりした」と後から笑っていましたね。
――なぜそんなに早く退院したかったのでしょうか。
海 事故に遭うまでの私は、バイトをしたり、友達や彼氏と遊んだりして、ほとんど家にいないようなアクティブなタイプだったんです。だから、携帯も使えず、24時間病院のベッドに縛り付けられている不自由な生活が何よりも苦痛でした。
――実際に退院するまで、どのくらい時間がかかったんですか。
海 それでも1年弱くらいはかかりました。足を切断したあとも、皮膚の移植手術などを何度も重ねて。その後、リハビリを始めました。
ずっと寝たきりだったから、とにかく体力や筋力が衰えていたんです。一番時間がかかったのは筋トレかも。