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デザイン学校へ進学し、モデル活動を開始

――志望していた専門学校には通えたのでしょうか。

 問い合わせをしたところ、物理的な制約で、車椅子の私には通うのが難しいだろうと言われてしまったんです。だから、デザインの勉強ができる1年制の学校に進学することにしました。デザインなら、どんな分野にも応用が利くと思ったので。

 でも、そこで大道具さんになるのを諦めたわけではありませんでした。たしかに大変な道のりなのかもしれないけど、少し遠回りになっても、きっと何か道はあるはず。そう思っていたから、別の学校への進学も至って前向きな選択でしたね。

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――デザイン学校在学中に、モデル活動を始めたそうですね。何かきっかけはあったのでしょうか。

 たまたま知人から、「NHKの番組企画で、ファッションショーをやるからモデルとして出てみない?」と紹介されて。東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて、パラスポーツの認知を高め、障害を抱える方をより身近に感じてもらう趣旨の企画だったようです。私のような車椅子ユーザーだけでなく、セクシュアルマイノリティなどの方にも声がかかっていました。

 ただ、私はモデルとしてランウェイを歩くことには、あまり興味がなくて。それよりも、「ショーに出れば憧れのテレビ制作現場を見られる!」と思ったので、引き受けることにしました。

ランウェイを歩いてみて気づいた“ある違和感”

――初めてのファッションショーやモデルの仕事はいかがでしたか。

 ランウェイを歩くこと自体は新鮮な体験で、すごく楽しかったんです。それに、念願だったテレビ制作の舞台裏を見ることもできた。でも、私の中には“ある違和感”が残ってしまって……。それが、今のモデル活動の原動力になっているんですけど。

――“違和感”とは?

 「障害を抱える方をより身近に感じてもらう」という企画自体は素晴らしいと思います。どんな障害があっても、ランウェイで生き生きと輝く姿を見せることで、当事者に勇気や希望を与えられるから。

 ただ、その番組の趣旨を本当に届けたい人には、届いていないと感じました。だって客席を見渡してみると、同じく障害を抱える当事者の方やそのご家族、あとは福祉・医療関係者が大半だったんです。興味関心がない人に知ってもらいたいはずなのに、それでは意味がないじゃないですか。

――本当に届けるべきは、普段は当事者の方とあまり接する機会がない人たちだと。

 そうです。そしてそのときに、「エンタメ」という軸であれば、より多くの人に車椅子ユーザーの存在や思いを知ってもらえるかもしれないと考えました。だから私がモデルになって、「健常者と障害者をつなげる架け橋になろう」と決めたんです。

撮影=三宅史郎/文藝春秋

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