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あの放物線をもう一度見たい。中日・福田永将が信じない「奇跡」の瞬間を信じて待つ

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/08/24
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 冗談めかした言葉に、ぎゅっと胸を締め付けられた。

 7月下旬、炎天下のナゴヤ球場。リハビリを終えた中日・福田永将に声をかけた。同月16日に出場選手登録を抹消。左腕を支える装具に目を向けながら、けがの詳細を教えてくれた。

 7月15日に行われた阪神戦(甲子園)の延長10回。一塁走者の福田は、大島洋平の適時打で一気に本塁へ生還したが、1点を貪欲につかみにいったヘッドスライディングの激走で左肩を負傷した。35歳の中堅戦士は「あの時、頭から行くしかなかったんですよね。足から行く方がリスクだし、行けなかった。2軍のトレーナーとも話して、リスク承知で早く実戦に復帰させてもらったんで。悔いはないです」と振り返る。

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 2月のキャンプ中に左膝の状態が悪化。同月末に「左膝内側半月板部分切除術」を行い、急ピッチで実戦復帰していた。とっさの判断で、本能的にヘッスラを選択したのだろう。胸を締め付けられた言葉を聞いたのはこのときだ。言いたいこともあるだろうが、それを飲み込み、一刻も早い回復へ前を見据える姿は、同世代として率直にかっこいいと思った。

福田永将 ©時事通信社

ド派手なデビューから満身創痍の日々へ

 幼少期に、よく野球へ誘ってくれた近所のお兄ちゃんが投手をしていたこともあり、それがきっかけで捕手から野球人生がスタートした。名門・橫浜高では強肩強打を売りに1年生からベンチ入り。3年の春の選抜では主将として全国制覇も成し遂げた。同年に高校生ドラフト3巡目で中日へ入団。高卒3年目の2009年7月のヤクルト戦(神宮)には、押本健彦から史上49人目となる「初打席初本塁打」を放った。

 ド派手なデビューは果たしたが、当の本人は「プロはレベルが全く違う。めちゃくちゃへたくそでしたから。ここまで長くできるとは思ってなかったし、プロ1、2年目を知ってる人からは『まだやってるの?』って言われますからね」と笑う。同じ三塁を主戦としていた森野将彦(現打撃コーチ)の壁は高く、しばらく2軍で鍛錬する日々が続いた。

 15年に初めて年間100打席を超え、16年から19年の4年間は4年連続で2ケタ本塁打も放った。特に2019年は、初めて9、10月度の月間MVPに輝く活躍。キャリアハイに並ぶ18本塁打、66打点と打線の一角を担った。

 しかし、近年は常にけがとの戦いが続く。20年のシーズン終盤には守備中に左肩を脱臼。常に満身創痍の中で、シーズンを過ごしていたし、今季もそうだった。現在は、両手でティー打撃をするまで回復。今後は、マシン打撃や近距離の手投げで打撃練習と前進していく。背番号55は「当面の目標は今シーズン中に試合に復帰したい」と短い言葉ながら、悲壮感はなく明かしてくれた。

 プライベートでもざっくばらんな福ちゃん。お酒はもっぱらビール党で、大好きな焼き肉屋に行けば乾杯の発声後、一口目でグラスが空っぽになる。趣味は釣りと競馬。「もっぱら血統派」という競馬では、ここでは言えないなかなか馬券師だ。2020年の宝塚記念では、名馬・クロノジェネシスから幸運を受け取っていた。記者はなぜか「師匠」と呼ばれているものの、福ちゃんの財布の厚みに貢献したことは全くない。

「競馬予想は野球に通ずるところがありますよ」と言い、試合前には相手投手のチャートをじっくり見ながら、配球や自分への攻め方をイメージするらしい。オフシーズンになると、チームメートや裏方とよく行く釣りも福田のリラックスタイム。シーズン中はなかなか行けないが、愛車の荷台にはいつも釣り道具が準備されている。

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