「おおーしまーーー!」
登場曲がフェイドアウトした瞬間、ワントーン高い声でさけんだ。前列の男性が振りかえる。わたしの赤いタオルに目くばせをすると、彼も大島の名をさけぶ。視界のはしには応援団のボード、次のコールは「突撃」だ。タオルをかかげる手に力がはいる。
2023年8月2日、中日vs阪神17回戦。わたしはバンテリンドームナゴヤのライトスタンドにいた。この夏はめいっぱい球場へ足を運ぼうと決めている。なぜなら、大島洋平が2000本安打に王手をかけているからだ。大学・社会人経由での記録達成は、史上4人目の偉業。できることならその瞬間をたくさんの大島ファンとともに、現地で祝いたい。
同点で迎えた5回裏、地鳴りのような大島コールのなか、先頭の大島は真ん中高めの初球をするどく振りぬく。ライナー性の打球が一塁手・大山の頭上を越えた瞬間、歓声がはじけた。無死一塁、走者・大島。続く岡林はライト線へ長打をはなち、大島は一気に三塁を回ってホームイン!
「やったー! あと何本?」
「18本!」
友人や見ず知らずの野球少年たちとハイタッチをかわしながら、目頭が熱くなる。1982本目のヒットは、この日の決勝点のチャンスメイクだった。
「身体が強い」と評される大島、果たしてそれは本当なのか
大島は名古屋出身、チーム野手最年長、現在37歳のベテラン外野手だ。享栄高校から駒澤大学、日本生命を経て、2009年ドラフト5位で中日ドラゴンズに入団。守備力を買われ、ルーキーながらセンターの開幕スタメンに抜擢された。呼吸するようにヒットを量産、つけられたキャッチフレーズは「竜の安打製造機」。守備のスタイルは堅実、言いかえれば地味で、華のあるダイビングキャッチはしない。捕球失敗での進塁や故障のリスクを避けるため、ポジショニングと足で打球に追いつく。
離脱が少ないことから、解説者からよく「大島は身体が強い」と評される。
実際、昨年までの13年間、出場が100試合を下回ったのは2年目の96試合のみ。いっぽうで8年間は年間143・144試合中140試合以上出場している。実にここまでのプロ野球人生、3/4のシーズンはほぼ全試合出場。現代の鉄人である。
でも、本当に彼は「身体が強い」のだろうか。故障を未然にふせぐ自己管理能力の高さと我慢強さが、彼をそう見せているだけではないかと、わたしは思う。
その証拠に、シーズン終了後「実はあのとき故障していた」という情報が出てきたことは一度や二度ではないし、利き手である左ひじのクリーニング手術も経験している。骨折していても出場できる状態なら痛み止めを飲んで、守り、打ち、走る。パーソナルトレーナーと二人三脚、オフや自主トレ期間中には、後輩選手が悲鳴をあげるほどのメニューでシーズン通して戦う鋼のような肉体を作りあげる。凄絶。そりゃ鉄人にもなる。
けっして「身体が強い」わけではない。志が高く、強いのだ。
全試合出場し活躍するための準備と技術。その充実した心技体が大島洋平の真の強さであり、彼のキャリアを支えている。
わたしが娘の野球部入部をきっかけに、プロ野球観戦を再開したのは6年前。ひさしぶり過ぎて、ドラゴンズは見知らぬ選手ばかりになってしまっていた。
はじめはインコースの球を引っぱって走りだす、その一連の動作のうつくしさに心惹かれただけだったのに、いつしか、わたしはユニフォームを着て球場へ通うようになった。初めて買ったユニフォームは、背番号8・大島洋平だった。