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読谷で大島を追いつづけたわたしが見たものは

 今でも耳の奥にこびりついている音がある。昨シーズン、念願の首位打者に向けて打率.362と絶好調だった4月末、大島の右ひざを襲った死球。あの鈍い音。

 一時は足首から先を自力で上げられないほどの大きな故障。その後遺症を抱えつつも大島は夏場にふたたび安打を重ね、最終打席まで村上宗隆と首位打者争いを見せた。結果は村上の三冠王確定。わずかに足を引きずりながらの激しい追い上げを、固唾をのんで見守っていたから、やるせなさに打ちのめされた。

 今年の2月、わたしは読谷での春季キャンプへ飛んだ。

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 読谷での大島の朝は早い。小田幸平二軍バッテリーコーチのSNSには、午前7時前から毎日ランニングを始める大島の様子が、写真つきで掲載されている。全体練習開始の2時間半前だ。

 貼り出されたメニュー表を見ると、大島は他選手の昼食時に行う「ランチ特打」のほかは、ほぼ「フリー」。外野での守備練習、柵越えするたび拍手が湧いたランチ特打、トレーナーとマンツーマンの体幹トレーニング……陸上競技場からメイン球場へ戻る大島が、ほんの1m先を横切っていく。青い半袖のアンダーシャツの袖口はパンプアップした上腕に食いこんでいる。筋肉のかたちが大きく浮き出たその胸板は、日ごろ見るユニフォーム姿よりずっとずっと分厚い。

 特に印象的だったのは、交代でのバント練習。順番が回ってくるのを待つあいだ、大島は目を閉じ、ひたすら10本連続の早振りをくり返す。うなるスイング音が聞こえる贅沢な時間。大島の頭はまるでブレない。ひたむきに努力しつづける練習姿勢は、夢は追いつつも、チームバッティングに徹する覚悟と準備に思えた。

バント練習の片付けをする大島 ©水野うた

 8月5日CBCラジオ「若狭敬一のスポ音」で、キャンプ終盤の大島の姿が紹介されていた。元コーチの達川光男氏が、北谷へ取材に行ったときのこと。森野将彦打撃コーチに「面白い光景がありますから」と言われて室内練習場へ行ったら、大島がひとりずっと打撃練習をしていた。それが終わったら素振りを始めた。10本連続を10セット、肩で息をしながら。「中日でコーチをしていた頃も今でも、いちばん練習しているのは大島」。わたしが見たのはこれだったのか。

 球団公式Xアカウントの「ONE BLUE」にはこう書かれていた。

“摂氏100℃のプロ意識”

 

 神々しい。

2000本安打達成のその先へ

 2000本安打まで残り115本で始まった今シーズン、大島本人は「早く決めてすっきりしたいですね」と語ったけれど、その日はいつになるのだろう。大島の登場曲のひとつ「炎」に、こんな歌詞がある。

 “輝いて消えてった 未来のために

 託された幸せと 約束を超えて行く”

 わたしにはこの歌詞が「プロ野球の世界で今も戦うことができる“幸せ”を噛みしめながら、引退していったかつての仲間たちの分まで、“約束”を超えて戦いつづける」という、大島の決意表明に思えてならない。彼が背負っているものは、背番号8だけではきっとない。家族やチーム、そして幼い頃から今までの、ともに戦いながらも夢なかばで諦めざるを得なかった数多くの仲間たち。それが彼の高く強い志をきっと後押しする。

 そして、怪我や年齢と向きあいつつチームのために戦いつづける大島の姿に、胸を熱くしたり、自らをかさねて「明日もがんばろう!」と思ったりするファンは、きっとわたしだけではないはずだ。

 かなうものなら、かつての仲間たちとたくさんのファンが見守るバンテリンドームナゴヤで、大声援のなか2000本を達成してほしい。そして、それが勝ち試合なら最高だ。

 この文章が掲載されるころ、大島は2000本安打を軽やかに駆けぬけ、新たな挑戦をはじめているにちがいない。“未来のために”“心に炎を灯して”走りつづける大島洋平に、わたしはこれからも赤いタオルを手に叫びつづける。

 かっ飛ばせー、大島!

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