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原田芳雄、奥田瑛二らと共に“ヤクザ映画”に新風を巻き起こした1990年代…望月六郎監督(66)は、なぜ表舞台から消えガードマンになったのか

原田芳雄、奥田瑛二らと共に“ヤクザ映画”に新風を巻き起こした1990年代…望月六郎監督(66)は、なぜ表舞台から消えガードマンになったのか

望月六郎インタビュー#2

2023/09/16
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 フルコースの料理が出てくるお店に行って、その人殺しの隣に座らされて、殺しの話をさんざん聞かされました。「ワシはこうやって日本刀で殺しました」とか。気持ち悪くて、もう嫌だなと思いながら、次々に出てくる料理を食べました。

 そのとき人殺しのほかに、もうひとり若い親分がいたんです。人殺しは俺に向かって、「監督さん、ワシはやるといったらやる人間です」ってずっと話してるんですよ。で、「いままでの殺しは失敗でした。ワシはもうひとり殺しますから」って。それ、俺のほうを向いてるんだけど、親分に対して言ってるんですね。その親分のために、自分はもうひとり殺すんだと。それがなんか引っかかって、お店を出たあと、プロデューサーの木村俊樹さんに「もしもう一回ヤクザ映画を撮ることがあれば、あの人を撮りたい」と話しました。

――それが『鬼火』になったんですね。劇中に、原田さん扮する主人公が過去の殺しについて飲み屋で話すシーンが出てきます。相手に上着を投げつけて、日本刀で切りつけたとか、何遍も突き刺したら、体を貫通して刀がコンクリートに当たる音がしたとか。

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望月 ああいうことをずっとしゃべってたんです、フルコースを食べながら。

原田芳雄、奥田瑛二、北村一輝……名優たちとの絆

――原田さんや奥田瑛二さんは望月さんの複数の作品に出演していて、強い信頼関係のようなものをうかがわせます。

望月 ふたりともよく飲むけど、車も運転しないし、ゴルフにも行かないし、映画がすごく好きな人なんだと思います。まわりから「大変でしょう?」と言われたことはあるんです。「難しい人ですよね」って。でもそう思ったことは一度もないです。

撮影 細田忠/文藝春秋

『鬼火』を撮る前に芳雄さんの家に1週間近く通ったのかな。1ページ目から「ここはどういうことだ?」「こっちはどういうことだ?」って、映画とは関係ないと思うことまで細かく聞いてくるんです、毎日。で、何日かやったあとにプロデューサーが音を上げちゃって、「嫌なら別の人に替えてもいいよ」って。でも俺は平気でした。

 するとある日、今度は「ここはこういうことだよな」「こっちはこういうことだよな」って、裏返った札を表にして神経衰弱の答え合わせをしていくみたいな作業が始まったんです。それが全部終わったら、デカい地図ができたような気がしましたね。この作品のことは芳雄さんも俺もすべてわかってるぞって。

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