ピンク映画、アダルトビデオ監督を経て1990年代、気鋭の監督として注目作を発表し続けた映画監督・望月六郎(66)。だがある時を境に、映画界から距離を置くようになってしまう――。
デビュー映画『スキンレスナイト』デジタルレストア版公開(9月17日から)を前に自身がメガホンをとり高い評価を得たヤクザ映画、そして原田芳雄、奥田瑛二、北村一輝ら名優たちとの思い出を振り返る。(全2回の2回目/前編を読む)
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90年代、高い評価を得たヤクザ映画
――その後、『極道記者』(1993)を皮切りに望月さんは映画監督として頭角を現していきます。『新・悲しきヒットマン』(1995)は山口組元顧問弁護士の山之内幸夫さんによる原作で、日本映画プロフェッショナル大賞で作品賞と監督賞を受賞しました。以降も『鬼火』(1997)、『恋極道』(1997)など、優れたヤクザ映画を立て続けに監督することになります。
望月 もちろんヤクザ映画を撮ってたんだけど、自分としては単にヤクザという人間を撮ってる感覚でね。俺の映画に出てくる主人公って、のしていって日本一になるとか、そういう奴らじゃなくて、ヤクザをやってても喧嘩以外に才能がなかったり、人殺し以外にできることがなかったりする奴らなんです。
山之内さんがまたそういうヤクザを紹介してくるんですよ、「会ってみる?」って。実際に会ってみると、そういう人たちはなんとなく可哀そうっていうのかな。どういうことかというと、ヤクザの組長がリクルートしてきて、入ってくる奴らを選別するわけです。例えば、こいつは金儲けがうまいとか。で、なにもできないけど、殴ったり殺したりはできる人たちが戦闘要員になる。つまりヒットマンですよね。
彼らは悪いことをして長い刑期を終えて出てくるから、箔はついてるんです。でも金がなかったり、結局また失敗したりする。その悲哀の部分に興味がありましたね。しかも悪いと思う奴らを殺してるから、ある種の正義感があるんです。だからまあ、不思議なもんでしたよ。
「ワシはこうやって日本刀で殺しました」
――『鬼火』で原田芳雄さんが演じていたのは、ふたりを殺して服役し、50歳を過ぎて刑務所から出てくるかつてのヒットマンでした。そのモデルとなったヤクザにも、実際に会ってるんですよね。
望月 『新・悲しきヒットマン』のロケハンをしに神戸へ行ったときのことです。震災のあとで、本当に撮影できるのかなみたいな時期でした。そのときも「人殺しがいるんですけど、一応会っておきますか?」って山之内さんが言うんです。「忙しいからいいです」って断ったんだけど、なんだかんだで会わないわけにはいかなくなった。