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望月 まあ、そういうようなところもあったかもしれないけど、やっぱり三池さんのほうがいろんなジャンルを撮れたから。大きい作品も撮ってたしね。ライバルっていうのはおかしいですよ。俺の場合、結局のところジャンルを超えられない自分がいた。自分としては他のものを撮りたくても、なかなかそういうふうに見てもらえなかったんです。

撮影 細田忠/文藝春秋

00年代、徐々に映画界から離れていった、その理由

――2000年代初頭まで精力的に映画を撮っていた望月さんですが、そのうち映画界とは距離を取るようになりました。映画界から姿を消したようにも見えましたが、いったいなにがあったんですか?

望月 当時、自分が負のサイクルのなかにいるような気がしたんです。前に撮ったああいうのをもう少し安く撮れませんかとか、そんな話ばかり持ちかけられたし、初めて撮った少年映画『かまち』(2004)が芳しい成績を収められなかった。そういうのもあって、いったん休もうと思ったんだけど、そのあいだにふと妄想みたいなものにとらわれてサイバーパンク小説を書きはじめたんです。でも1、2年で書けると思ったら結局5年。もし単行本にするなら4、5巻はある分量ですよ。

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 書いてるあいだに、ずっとパソコンの前に座ってたら発狂するなと思って、年に2回くらい演劇を始めることにしました。「こういうことをやってもいいかな」って女房に聞いたら、「いいんじゃないの」っていう話になって。まさかそれが18年も続くとは思ってなかったでしょうね。でもAVを撮ってた時期、それから一般の映画を撮ってた時期をへて、いまは演劇をやることが楽しいんです。今日はガードマンのバイトの帰りなんだけど、すごく充実してますよ。

――映画への未練はありませんか?

望月 未練ね……ある時期、若松孝二さんが亡くなったころ、あの人があれだけ撮ってたんだから自分もがんばろうかなと思って企画を考えたんです。でも全滅でした。だからもうしょうがないなと。もし俺がカムバックして、いま売れっ子の監督になってたとしても、セクハラやパワハラで大騒ぎになってたかもしれない(笑)。最後にもう1本、映画を撮ってほしいと言ってくれるプロデューサーがいるけど、結局これが俺の人生なんだと思いますよ。

撮影 細田忠/文藝春秋

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