ここ数年、日本の自殺者数は2万人以上。国際的に見ても、若年層で死因順位のトップが自死となっているのは先進国(G7)で日本のみという報告もある(厚生労働省「令和元年版自殺対策白書」など)。

 大分県別府市を拠点に活動する詩人・エッセイストの豆塚エリさん(30)も、10代で自ら死を選ぼうとした1人だ。16歳のときに飛び降り自殺を図って頸髄を損傷し、車椅子ユーザーとなった。

豆塚エリさん ©深野未季/文藝春秋

 2022年9月に上梓した書き下ろしエッセイ『しにたい気持ちが消えるまで』(三栄)では、壮絶な生い立ちや頸髄損傷後の半生をありのままに綴り、生きづらさを抱えて苦しむ人々へメッセージを届けている。

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 一度は自ら死を選ぼうとした彼女だが、今は「障害者になっても生きててよかった」と感じているという。そう思えるまで、何があったのか——。複雑な家庭環境やいびつな親子関係など、詳しく話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)

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別府はとても生きやすい場所

——豆塚さんの今の活動について教えてください。

豆塚エリさん(以下、豆塚) 今はフリーランスの詩人として活動しながら、介護事業所の役員としても働いています。いわゆるダブルワークですね。本当は創作活動に専念できたらいいんですけど、コロナ禍の影響もあって生計を立てるのが難しくて。

——大分県別府市を拠点に活動されているんですよね。

豆塚 そうです。病院や施設を出て1人で生活し始めてからは、ずっと別府で暮らしています。別府は車椅子ユーザーにとって、すごく生活しやすい街なんですよ。街の規模が全体的に小さくて車がなくても移動しやすく、一方通行の道が多いので車通りも少ない。扇状地なので坂が多いのがネックですが、困った時は街の人が助けてくれます。病院が多いのも助かりますね。

 実際、私のような車椅子ユーザーの方をよく見かけます。昔から湯治場として有名なため、多様な人々が暮らしていて、とても生きやすい場所。別府にいたからこそ、今のように詩人として活動できるようになりました。

 

——著書では、自殺未遂に至るまでの経緯がありのままに綴られています。あらためて、豆塚さんの生い立ちについてお聞かせいただけますか。

豆塚 愛媛県の松山市で生まれました。母は在日韓国人、父は日本人です。母と父は私が生まれる前に事情があって別れていて、母は日本で1人で私を産む決心をしたようです。

 日本におけるアジア人女性への差別や偏見が根強い時代でしたが、それよりも韓国では日本人への風当たりが強く、日本人との間に生まれた子どもを連れて帰るのが怖かったと聞いています。

——お母さまは異国の地で、おひとりで豆塚さんを育てようとしたんですね。