16歳、高校2年生での自殺未遂によって頸髄を損傷して以来、車椅子で生活する詩人・エッセイストの豆塚エリさん(30)。母親や義父との複雑な関係性、希死念慮を抱いたきっかけ、自殺未遂後のリハビリ生活などを赤裸々に綴った自伝エッセイ『しにたい気持ちが消えるまで』(三栄)が話題を呼んでいる。
豆塚さんは自殺未遂のあと、どのような生活を送ることになったのだろうか。そして、一度は自死を決意した彼女が、生きづらさに悩む若い世代に伝えたいこととは――。(全3回の3回目/1回目から読む)
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私は身体を殺そうとしたのに、身体は私を生かそうとした
——著書の中で、一命を取り留めたあとのご自身の状態を「身体が生きたがっていた」と綴られていたのが印象的でした。この言葉の真意をあらためて聞かせていただけますか。
豆塚エリさん(以下、豆塚) 自宅のベランダから飛び降りて病院に運ばれたあと、身体は麻痺して動かず、寝たきりでたくさんのチューブをつないでなんとか生かされている状態でした。でも肉体は手術に耐え、栄養を摂取し、全力で回復しようとしてくれていました。生きようとしているのは私の肉体であって、精神の「私」という存在は何もできない無力な存在なんだと悟ったんです。
私は身体を殺そうとしたのに、身体は私を生かそうとしてくれている。私は自分の意思で自分の身体を操れると勘違いして、この命を終わらせようとしたけれど、なんておこがましいことをしていたんだと。私はこの身体に救われたんだな、と思ったんです。
——意識が戻ったあと、お母さまはどんな反応を?
豆塚 母は、何も変わりませんでした。もし今、復讐のために死のうとしている人がいたら、「悲しいくらい、自分が死んでも何も変わらないよ」と伝えたい。あなたが死んでも何も変わらず、日常が過ぎていくんです。だから死ぬのはやめて、生きてほしい。
——その後、3か月ほどで病院を退院されたそうですね。
豆塚 ICU(集中治療室)を出たあとHCU(高度治療室)に移り、そこからリハビリを行いました。でも、その病院は最長で3か月しか入院できなかったので、そのあと湯布院にある回復期の病院に転院したんです。
そこで6か月間リハビリを行ったあと、頸髄損傷の人たち専門の訓練施設に入所して、自立訓練に取り組みました。