豆塚 生まれて初めて、「君にはちゃんと才能があるんだから、真面目にやりなさい」と叱ってくれる人でした。それまで、創作活動は趣味で「楽しいこと」だから、仕事になるわけないって思っていたんです。母からも将来は弁護士か医者になれと言われ続けていたし、創作活動では食べていけないと思い込んでいて。何かを楽しむことに罪悪感すらありました。
だから、初めて私の作品や才能に価値があると評価してくれる人に出会えて、素直に嬉しかったですね。
障害を抱えたことで人生を“生き直している”感覚がある
——最近は車椅子ユーザーとして、テレビ番組などでの発信もされています。
豆塚 そうですね。ただ「車椅子インフルエンサー」みたいにわかりやすくカテゴライズされてしまうのはちょっと違うという葛藤はあります。もちろん、それで私のことを知っていただく方が増えるのはありがたいんですけど。
車椅子ユーザーになったことで、「障害者=可哀想、純粋無垢な存在」のような、典型的な「障害者像」を押し付けられるのには、正直辟易している自分もいて。実際は自分のことを可哀想などとは思っていません。
むしろ私は、障害を抱えたことで福祉や村谷さんと出会い、一度終わらせようとした人生を“生き直している”感覚があるんです。
——「生き直し」ですか。
豆塚 私は障害者になって福祉やケアに触れて初めて、尊厳を持った1人の人間として扱われた気がしました。そのなかで、人に頼るのは悪いことではないのかも、と思えるようになったんです。
それまで学校という競争社会の中で、“土俵”の下に落ちないように、勝ち続けなければいけないと思っていて。「強くあれ」という価値観の中で育ったので、健常者だった頃の私は誰かに頼ったり、迷惑をかけたりするのは「恥ずかしい」と思っていました。
でもそれって、実はものすごく傲慢な考えですよね。そもそも人は1人では生きていけないし、実はいろんな人に支えられて生かされているのだから。