16歳のときの自殺未遂によって頸髄を損傷して以来、車椅子で生活する詩人・エッセイストの豆塚エリさん(30)。自身の生い立ちや家族との複雑な関係性、自殺未遂後のリハビリ生活などを赤裸々に綴った自伝エッセイ『しにたい気持ちが消えるまで』(三栄)が話題を呼んでいる。
著書の中で「障害者になっても生きててよかった」と振り返る豆塚さんが、自ら命を絶とうとしたのはなぜなのか。希死念慮(死にたいと思う気持ち)を抱いたきっかけや、飛び降りをした当日の出来事などを聞いた。(全3回の2回目/3回目に続く)
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厳しい義父から逃げるために地元から離れた進学校を受験
——著書『しにたい気持ちが消えるまで』では、豆塚さんの複雑な家庭環境が綴られています。改めて、当時のご家族との関係性を教えていただけますか。
豆塚エリさん(以下、豆塚) 中学の頃から母と義父は別居しはじめて、高校に入学する頃に離婚しました。なので、高校時代は、私と母の2人暮らしでした。
それまでは地元の幼馴染みもいたり、親戚も近くにいたりしたんですけど、高校からは本当に頼れる大人が母親しかいなくなって。それなのに、母は生活のためにより一層働かなくてはならなくなって、以前にも増してほとんど家には帰ってきませんでした。
——高校は大分県内随一の進学校に通われていたそうですね。
豆塚 時代背景もあって、母は良い学校に通わせてもらえなかったようで。母自身のコンプレックスを埋めるように、私が幼い頃から「弁護士か医者になれ」と繰り返し言っていたし、「大学は東大以外は許さない」とも言われていました。ものすごく極端ですよね。母なりの励ましだったのかもしれませんが、私にとっては大きなプレッシャーでした。
私自身も、勉強ができれば母から認めてもらえると思っていました。その頃には、自分がどうなりたいとかよりも、母が望むように生きなくちゃって思い込んでいたんです。
それにとにかく、厳しい義父から逃げたかった。「地元から離れた場所にある進学校に進めば、家を出られるかもしれない」という考えもあって、受験勉強を頑張りました。見返してやりたい気持ちもあったのかもしれません。
——それまでの学校生活はどうだったのでしょうか。