豆塚 中学まで、学校そのものは楽しかったんですよ。ただ人間関係はあまりうまくいってなかったんですよね。慕ってくれる友達に対しても、優しくできなかったなって。親が私に向けるのと似た態度をとっていたと思います。
私は元から内向的な性格でしたし、ありのままを受け入れてもらえなかったから、明るくてコミュニケーション能力が高い子が羨ましかったのではないかと思います。嫉妬心を紛らわすために、「こんな勉強ができない奴らと一緒にしてほしくない」と見下していた節もあると思います。自らどんどん孤立して、居場所を失っていきました。
学校にも家にも居場所がない。だから「ここじゃないどこか」に行きたかったんです。
中学生のときに初めてリストカットを経験
——「死」を意識するようになったのは、何がきっかけだったのでしょう。
豆塚 思春期になると、今までの自分を客観視できるようになるじゃないですか。ただ、その「客観」がとても偏っていたんです。
家庭環境も複雑だったし、学校の人間関係もうまくいかない。「なんで私はどこでもうまく生きられないんだろう」って自分が嫌で仕方なくて、漠然と「消えてしまいたい」という思いが芽生え始めて。
——「消えたい」から「死にたい」という気持ちに変わっていったのはいつからですか?
豆塚 中学生くらいだったと思います。当時流行っていた小説の中に、自殺をモチーフにした物語があったんですよ。その内容をインターネットで調べているうちに、自殺にまつわる知識が蓄積されていきました。
そしてちょうどその頃、周りにリストカットをしている先輩や同級生がいて。それで、私も真似してやってみようかなと思ったのが最初ですね。初めてリストカットしたときは、ほっとしたのを覚えています。
——なぜリストカットで「ほっとした」のですか。
豆塚 リストカットはうまく生きられない自分を許すための“免罪符”のような存在でした。だから血が流れるのを見たり、痛みを感じたりしたら、なぜかほっとした自分がいたんです。
自分の身体を傷つけることで、誰かに私の苦しみや寂しさを知ってほしい、助けてほしいって思いも少しはあったと思います。