「母の役に立てないなら、もう死んだほうがいい」と思うように
——その状態の豆塚さんに対して、お母さまは何と?
豆塚 母も母で自分のことで精一杯ですから、私のことには無頓着で、心配する余裕なんてなかったと思います。一回、そのことで口論になったことがありました。私が部屋で泣いていたら母が入ってきて「なんで泣いてるん? ちゃんと話してよ」というので「勉強がつらい」と説明すると、「あんたが『この学校に行きたい』って言ったから、私だってこんな無理して頑張っているのに」と責められて。実際には「この学校に行け」と言ったのは母なんですけど。
自分はこんなに頑張っているのに、という思いが強かったんでしょうね。実際のところ、母も十分ハードな暮らしをしていました。お金のかかる子供を抱えて誰も知り合いのいない新しい土地で一から仕事も人間関係もやり直すのは、女性であり、なおかつ外国人である母には大変なことだったのではないかと思います。とはいえ、その子供である私にとっては、母の言葉は理不尽そのものでした。「子供のため」とは言いますが、そう言って全て「子供のせい」にしているように私は感じていました。
当時は精神的にかなり追い詰められていたので、そんな理不尽にも「ああそっか、私が全部悪いんだ」って納得してしまったんです。
そうやってなじられるうちに、「もう頑張って生きていても仕方ない」「母の役に立てないなら、もう死んだほうがいいんじゃないか」と思うようになっていきました。
「今やるしかない」自宅アパートの3階の窓から飛び降りる
——自殺未遂をした当日、お母さまと喧嘩したそうですね。
豆塚 数日間、母が家に帰ってこなかったときがありました。飲食店をいくつか掛け持ちして働いていたし、憂さ晴らしに遊びにも行っていたと思います。普段から連絡が通じない人で、母がどこで何をしているかなんて全然わからなかった。
それで、その日も私はどうしても起きられなくて、学校に行けなかったんです。すると朝10時くらいに数日ぶりに帰ってきた母に見つかって、私の部屋に入るなり「何しよん? 熱でもあるん? はよ学校行け!」って怒られて。
——身体がきついときに。
豆塚 その日は寒くて、私が母の上着を借りていたんです。服の貸し借りをするのは日常茶飯事で、よくあることでした。でも、その日はとにかく虫の居所が悪かったみたいで、「それ私のやんか! 返してよ」と言われて、私も腹が立っていたのでなんとなく返したくなくて。言い合いをしているうちに、また母が「もう好きにしなさい、私出ていくから」と言って、本当に出ていってしまったんです。
そこで「ああ、私には本当に居場所がないんだ」と絶望してしまって。その瞬間、なぜかはっきりと「今死ななきゃいけない」って思ったんですよね。