文春オンライン

「学校にも家にも居場所がなかった」自宅アパート3階から飛び降り、16歳で自殺未遂…女子高生時代の彼女が抱えていた“苦悩”

豆塚エリさんインタビュー #2

2023/08/27

genre : ライフ, 社会

note

 でもそうやって実際に行動に移していくうちに、それまで現実的じゃなかった「死」がどんどん身近になっていきました。学校帰りに車が通り過ぎるのを見ながら、「このまま車道に飛び出したら死ねるかな」って想像したり。実際に行動に移さなくても、死を考えるだけで気持ちが少し楽になりました。

 

家庭・学校・成績の悩みの三重苦

——学校の先生など、助けを求められる大人はいなかったのでしょうか。

豆塚 高校は1学年400人近くいる大きな学校で、先生も1人ひとりの生徒の状況まで把握しきれていなかった。それに進学校だったから、生徒を志望校に合格させるために必死で、話を聞いてくれるような大人はいませんでした。

ADVERTISEMENT

——そうした複雑な環境が重なって、16歳のとき、高校2年生で自殺を図ることになってしまったのですね。

豆塚 その頃、学校に行こうとすると起きられない、身体が動かなくなる、ってことが続いていました。あと、学校の課題に向かっていると涙がボロボロ出て止まらなくなる。今思えば、完全にうつ状態だったんだと思います。家庭の問題や学校の人間関係、さらに成績の伸び悩みもあって、心身ともに限界が来ていたんです。

 解離症状も始まっていて、自分自身をまた別の自分が遠くから見ている、みたいな状態になっていました。頭が働かないし、誰かに話しかけられてもボーッとしてうまく受け答えができない。そんな自分をあとから思い出しては自己嫌悪になって、また自傷行為をする……そんな悪循環に陥っていました。

 

——メンタル不調だとは考えなかったのですか?

豆塚 当時は精神疾患に関する知識も乏しかったし、「私は強いんだ」「負けられない」って思い込んでいたので、まさか自分がメンタルの病気になっているなんて考えたことはありませんでした。だから、学校に行けない自分は甘えている、怠けているだけなんだと思っていました。

 高校では文芸部と美術部を掛け持ちしていて、授業のほかに制作活動の締め切りも抱えていました。ようやく身体が動くようになる夕方くらいになんとか学校に行って、先生に事情を説明して謝って、また帰ってから課題をやって、気絶するように寝る……。今思えば、人生で一番ハードだったんじゃないかと思うような生活をしていました。それでも、「それをこなせない自分が悪い」と思っていたので。

関連記事