——たしかにそうですね。
豆塚 人生には何らかの事情で“競争社会の土俵”から落ちてしまう瞬間がありますよね。でも、落ちてみると意外とたいしたことないんですよ。それまで「お先真っ暗」だと思っていたその場所は、目が慣れればそんなに暗いわけじゃない。そして落ちた場所でも、いろいろな人々が支え合って生活をしている。
障害を抱えて、1人では食事も排泄もできず、何もかも人に頼らなければ生きられなくなったときにようやく、人に何かを頼めるようになった。そして、自分の弱さや傲慢さを認めることができたんです。
本当の「自立」とは、人に頼りながら、自分ができることをして生きていくことなんじゃないかなって思えるようになりました。そう考えると、「1人で生きている」と言い張る母はすごく寂しい人だったなって思うようになったんです。
疎遠になった今も“呪い”のようにのしかかる母の言葉
——現在、ご家族との関係は。
豆塚 今は、母や義父ともほぼ連絡をとっていないですね。自分からはもう連絡を取りません。
——ただ、世間では「家族と縁を切る」ことへの風当たりが強い面もあるかと思います。
豆塚 私もそう思っていました。親と縁を切るなんて親不孝だ、って。でもそんなとき、村谷さんに相談したんですよ。そうしたら、「今は元気だけど、親はいつか年をとって弱ってきたら、必ずまた頼ってくるときが来るから。それまではお互い離れて暮らしていたらいいんじゃないかな」と言ってくれて。心が軽くなりましたね。今は、遅かれ早かれ“そのとき”が来たら、私なりに何かしてあげられたらいいのかなって思っています。
ただ……母と疎遠になった今も、母の言葉は“呪い”のようにのしかかっているんです。
——どのような“呪い”になっているのでしょうか。
豆塚 「母にとって役に立つ人間じゃないといけない」という思いが強迫観念のように染み付いているんです。“見捨てられ不安”も強いので、有益な人間でないと母に置いて行かれてしまう不安や恐怖がある。
自分は無価値だと思っているから、人に尽くさないと愛されない、って思ってしまっているんです。例えば、甲斐性のない男性に「かわいそうな自分を見捨てるお前は冷たい人間だ」といった感じのことを言われると、「そうなのかな」って思ってしまう自分がいる。幼少期から刷り込まれてきた価値観はなかなか消えないですね。