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豆塚 そうなんです。それも夫婦仲が悪化した一因だったと思います。実は妹が、生まれつき病気を患っていて、看病が大変だった。それなのに義父は、家のことを母だけに任せて、自分は集会に出かけたり、家のお金を勝手にお布施にしてしまったり。母は自由で身勝手な義父への不満を募らせていきました。でも、義父の言い分は違うんですけどね。

——義理のお父さまはなんと言っていたのですか?

豆塚 母は浪費家で家のお金もどんどん遣ってしまうと。どっちが正しいのかわからないですけど(笑)。それに当初は私に優しかった義父も、その頃くらいからどんどん当たりがきつくなってきて。

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——どんな風にですか。

豆塚 特に生活態度やマナーについて、私の一挙一動を厳しく注意してきました。あるとき父方の祖母から「エリ、おもちゃ欲しい?」と電話が来たので、「欲しい!」と言っただけで、「電話代われ! そんなもんいらんけん! お前は卑しい」と叱られたり。

 しつけの一環で、いわゆる折檻(せっかん)に近いこともされましたし、家の中に入れてくれないとか、大声で怒鳴るとか、そんなことは日常茶飯事でした。

 

母から厳しい言葉を浴びせられる回数が増えていく

——妹さんは厳しくしつけられなかったのですか?

豆塚 いつも厳しく言われるのは私だけでした。妹とは歳が離れていたので、「姉」としての期待が大きかったのかもしれません。元教師だった義父からすれば、私は「良い子」ではなかった。よく義父からは「お前はわがままだ」と言われていました。私も頑固というか、自分の考えを曲げないタイプの子だったから、面白くなかったんだと思います。

——豆塚さんへの態度は、お母さまも同じだったのでしょうか。

豆塚 はい。私、移住して元気になったのはよかったんですけど、太っちゃったんですね。今思えば子どもらしいちょっと「ぽっちゃり」くらいの体型だったと思うんだけど。

 でも母は、そんな私の姿を見て「ブタみたい」と言うんですよ。「別れた実父に似てきた」と罵られることもありましたね。

 母はもともとあけすけな物言いをする人でした。もしかして日本語で思うように感情を伝えることができないフラストレーションもあったのかもしれませんが、平気で人を傷つけるようなことを言ってしまう。生活や義父への不満が募るにつれて、その傾向がどんどん酷くなっていきました。

 

——著書の中でも、複雑な母子関係について綴られていました。

豆塚 母はだんだん家に帰ってこなくなりました。飲食店の仕事をいくつも掛け持ちするようになっていて、仕事がないときには遊びに行っていたみたいです。とにかく連絡がつかなくて。

 中学生までは「帰ってこないなんて何かあったのかな」って心配していたんですけど、だんだんそんなだらしない母を軽蔑するようになりましたね。それでも、本心では母に嫌われたくなくて。

——それはなぜでしょうか?