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豆塚 “見捨てられ不安”のような感情もあったと思います。母の機嫌を損ねると、「そんなこと言うなら私、韓国に帰るからね!」「もう家を出ていってやる」とか平気で言う。置いていかれて1人になるのが怖かったんです。今思えば、“共依存”的な関係だったと思います。

 それに、幼いときから私が“本来の親の役目”のようなことをすることがあって。

 

母の「役に立つ」ことが自分の存在価値に

——どういう意味でしょう。

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豆塚 今でいうヤングケアラーのような感じです。日本語が上手ではない母に代わって、行政の手続きなどは全部私がやっていましたし、母のメンタルケアも私の役目でした。例えば、仕事や義父についての愚痴を「うんうん」って聞いてあげたり。私自身、義父にあまり良い感情を抱いていなかったのもありますし、母の気をひいて独り占めしたかったのでしょう。

 それでも母は、私の話は聞いてくれなくて。最初は「言葉がうまく通じないからなのかな」って思っていたけど、初めから聞く気がなかったんだと今では思います。「意思のある人間」として尊重されていないと感じていました。

 母にとって都合の良い存在であれば褒められたし、そうでなければ冷たくされました。幼少期からそんないびつな家族関係に身を置くうちに、母の「役に立つ」ことが自分の存在価値になっていました。

——著書では、押し付けられる「女の子らしさ」への違和感についても綴られていましたよね。

豆塚 小さい頃は着せ替え人形のように女の子っぽい服装を着せられていて、それはまんざらでもなかったのですが、いつからかすごく違和感を抱くようになった記憶があります。私は女の子らしい服が着たいわけじゃない、どちらかというと男の子っぽくありたいと思うようになりました。

 それは、義父に対して反発する気持ちも強かったからだと思います。戦中生まれというのもあったのか、男尊女卑みたいな古い価値観を持っていたから、私や母に対して「女はこうすべき」といった考えを押し付けてくる人だったんです。もちろん、時代的に、義父に限らず社会そのものが女性に押し付けていたとも言えると思うのですが。

 

 でも、そんな違和感を理解してくれる人が当時はいなかった。学校の先生に相談しても、「そんなこと言っても、親御さんはあなたを大切にしているじゃない」と言われて、まともに取り合ってくれない。

 当時、なぜそういう態度をとられるのか考えた結果、私に力がないからなんだって思ったんです。だから勉強して偉くなって、「権力」を持てばいいんだろうと思うようになりました。

撮影=深野未季/文藝春秋

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