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生体の中には「マントラ」に近い仕組みがある

津田 というか、全探索ではない最良の方法とは何かという問題です。一方で、タンパク質には正しく折りたたまれるための回路があって、三次構造としての立体構造をもつタンパク質の折りたたみは、実際にはアミノ酸の一次構造で全部決まっているという仮説が出たりしました。「アミノ酸配列さえ決まれば、タンパク質の立体構造は一義に決定する」とするものです。固有の構造を獲得するためのシナリオはあらかじめ決まっているのだとする見方。

 しかし実際には、細胞内のタンパク質はかなり混み合っているので、しばしば他の分子との相互作用によって“変性”が起きてしまう。タンパクが劣化していく変性のプロセスというのは、疎水性のものが表に出たときに、疎水性のもの同士が結合していってモルテングロビュールという糸玉状のものになって機能が発現しなくなる、というものですね。ヘタしたらそれがアルツハイマー病でたまると言われているアミロイドβとか、狂牛病のプリオンというものになる。これはタンパク質の三次構造の折りたたみの段階で失敗が起きることが原因です。それはまずいんだけれども、じゃあ折りたたみの失敗を元に戻せるかというと、ゆで卵を生卵に戻せないようにムリである。不可逆過程だからムリだというんですね。ただ最近は、小さいタンパク質であれば可逆的で、ある程度は再生できると言われるようになってきた。変性する要因になっている阻害剤を徐々に取っ払っていくと、元に戻せるようです。

 実際にもそうした再生プロセスは生体の中でもおきているらしく、それを可能にするのが「シャペロン」(chaperone)というタンパク質です。シャペロンはタンパクの疎水性の部分に蓋をする性質を持っているので、先にシャペロンが疎水性の部分にくっついてしまうと、他のものがくっつくのを防ぐんですね。するとタンパクがおかしな変性をすることなく、きちんと機能を発揮するよう折りたたんでいくことができる。あるいは、いったん変性してしまっても、そうやってシャペロン風のものをうまく使えば、もう一回、機能を持ったものに戻れる。

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 もともと「タンパク質が変性する」とは、ポテンシャルを移行させることなんだけれども、そのポテンシャル自体はものすごく小さいので、実際には移行といってもほとんど平坦な変化です。深い谷があって変性するわけではなくて、あるのはものすごく浅い谷なので、物理の知識からすれば戻せるだろうと思えます。そして、実際に小さいタンパクならこれまでは戻らなかったものを戻せることがわかったんですね。

 だから生体の中には、さしずめ「マントラ」に近い仕組みが、遺伝子レベルではないにせよ、タンパク質レベルではあるということなんですよ。

初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(文春新書)

松岡 おおっと、シャペロンが一挙にマントラになった(笑)。シャペロンって、もともとの意味はヨーロッパの貴族社会で若い女性が社交界にデビューするときに付き添う年上の女性のことでしょう。誘導者みたいな役割です。そんな雰囲気がある用語を、折りたたまれていない変性状態のタンパク質に近づいて折りたたまれるものにフォールディング(折りたたむ)する機能のネーミングに使ったというのは、洒落てるよね。それがどうやら酵素や神経伝達物質やホルモンの機能が発揮される秘密を握っているらしいわけだから、さらにおもしろい。津田さんは、そこに言語とアナロジーできるしくみがあるだろうというんですね。もう少し、説明を続けてください。

津田 正しく折りたたまれず変性した状態はエントロピーが高くなっている。孤立系なら、熱力学第二法則があるから元に戻らない非可逆過程だけど、この場合は開放系で、シャペロンなんかが相互作用してくる。そうするとエントロピーを減少させるような若返りの過程がおこってまた正しい折り畳みの道を探ることができる。むろんシャペロンのエネルギーが使われているわけですが、この過程は、文章をある場所で書きまちがえて意味がまったく通らなくなってもいったんそこを削って、周りの意味から文脈がわかり、それで文章の一部を書き換えることができる過程に似ています。

松岡 なるほど、その見方につながっていく。シャペロンって正しい相手があらわれるまでは、新生ポリペプチドの疎水性部分を水分子から隠したりもしますね。「いない、いない、ばあ」をする(笑)。

津田 そうかもしれない。