まず、毎日いくつもの塾や英会話、習い事の掛け持ちを強要され、そのうえ1日何時間ものピアノの練習を強いられていたので、絵を描くための時間を作れなかった。あくまでも母親は、「本当にやりたいことであれば、習い事やピアノをこなした後に時間を作ってするはずだ」という言い分だったが、17時頃、吹奏楽部の活動を終えて帰宅し、塾・英会話が2~3時間、その後にピアノの練習が2~3時間、そして学校や塾の宿題、夕食、入浴、睡眠となると、時間を捻出するのは実質不可能。絵や漫画を描くことを禁止されていることと同じだった。
また、三宅さんが画材を買おうとすると母親は、「恥ずかしい」「ダサい」と貶めてきたり、「こんな画材を買おうとするのは、ダサいオタクだけですよね?」と大声で店員に話しかけたりした。
「何より一番嫌だったのは、自分が、“母の夢を叶える道具”にされたことです。母の夢はピアニストになることだったのですが、それが叶わなかったため、母は私がピアニストになることを強要してきました」
母親は、昼夜構わずピアノの練習をさせた。外面を気にするくせに、近所から苦情が来ても気にもとめなかった。
中学在学中、三宅さんは何度も泣いて頼み、ピアノはやめることができた。しかし、高校受験時には美術科の高校を志望した三宅さんだったが、母親はそれを許さない。結局、母親が提示した高校の中から選択することを強要され、しぶしぶ普通科の高校に進学した。
そんなある日、母親がお得意のおかしなフリをし始めると、虫の居所が悪かったのか、養父が怒ってやめるよう注意する。すると母親が「DVだ!」と騒ぎ出し、養父も負けじと「妻によるDVだ!」と応戦。結局養父は家を出て行き、母親は養父から慰謝料を取るため、裁判を起こした。
母親は三宅さんを自分の味方につけようとして、「お養父さんはあんたより、血のつながった妹弟のほうが可愛いと言っていた」「あんただけが私の味方」「妹弟はどうでもいい、私は妹弟よりあんたを信頼している」などと囁く。さらに母親は、「裁判に勝つためだ」と言って、まだ高校生の三宅さんに、「母が負けたら私たち子どもは死ぬぞ。私たちを殺す気か? 死んで慰謝料を払えというのか?」と「弁護士に電話しろ!」と命令。すっかり母親に洗脳されていた三宅さんが実行した結果、当然子どもに脅迫させるような母親のほうが不利になり、養父に500万円の慰謝料を支払うことで結審した。
離婚後、母親は妹と弟に「お前たちの父親のせいで私は500万円払うことになった!」と激怒。慰謝料は全額自分で払ったと言い張っていたが、実はそのうち300万円は大叔母(祖父の妹)が肩代わりしていた。