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母親に気を遣う生活

 離婚後も三宅さんたちきょうだいは、母親に常に気を遣って生活していた。何がきっかけで母親の機嫌が悪くなるかわからないため、いつも母親を爆弾のように慎重に扱わなければならなかった。それでも母親は突然機嫌を悪くし、三宅さんたちに当たり散らした。いつもきっかけはほんの些細なこと、全く予測できないこと。そしてほとんどの場合、三宅さんたちに落ち度はなかった。

 母親は機嫌が悪くなると、三宅さんに対しては、「お前は本当は私の子どもではない! お前の死んだお父さんには愛人がいて、そいつが産んだお前を私が育ててやっているんだ! 追い出されたくなければ言うことを聞け!」とありもしない嘘をついて脅したり、妹や弟には「お前らは父親に似てクズ野郎だ! 産まなければ良かった! さっさと父親のところへ行け!」などと怒鳴ったりしていた。ひどいときは、包丁を持ち出して脅してきたり、大切な持ち物を燃やされたこともあった。

「少しでも私たちが反論しようとすると、お決まりの『夫を早くに亡くした私の気持ちがわかるか!』と喚いたり、『私は幼い頃誰々にレイプされた! そんなかわいそうな私の気持ちがわかるか!』と叫んだりしていました。中学か高校くらいになって、ようやく私は母が虚言癖ではないかと思い至りましたが、幼い頃は母に本気で同情していました」

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 母親は友だち付き合いについては口を出さなかったが、恋愛については厳しく制限した。

「母はよく、『中学生になると勉強ができなくなるのは女だ。なぜなら、男男! ってなるからだ!』と言っていました。今は『そんなわけあるか!』と思いますが、当時は信じて疑わず、恋愛に興味を持たないようにしていました」

 こんな出来事もあった。三宅さんが高校3年生の元日の夜、徒歩30秒ほどの距離にある大叔母(祖父の妹)の家で、おせちをごちそうになることになった。母親から「先に行ってて」と言われた三宅さんたちきょうだいは、大叔母の家に先に到着。しかし待てど暮らせど母親は来ない。三宅さんが様子を見に行くと、母親は寝ていた。三宅さんきょうだいと大叔母は代わる代わる母親を起こしに行ったが、「眠い」「知らない」などの返事があるだけで、一向に起きようとしない。そのため大叔母は、「おなかが空いているだろうから、先に少し食べておきなさい」と言っておせちを取り分けてくれた。そこにやっと来た母親は、「誰も私を待ってくれなかった!」と激怒し、喚き散らして家に帰って行った。

 三宅さんたちきょうだいは、母親の機嫌を直すために大慌てで家に行ってみたが、玄関も窓も鍵がかけられており、中に入れない。大叔母に事情を話し、23時頃まで大叔母の家にいたが、その間何度家に行ってみても、鍵はかけられたまま。

「大叔母の家に泊めてもらうこともできましたが、そうすると翌朝母親が手がつけられない状態になることは予想できたので、23時過ぎに3人で家に戻り、私と妹で肩車して、たまたま鍵が開いていた浴室の窓から弟が中に入り、玄関を開けてもらいました。翌朝からしばらくの間、母は不機嫌でしたが、大叔母の家に泊まっていたら、もっとひどいことになっていたと思います……」