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 だから当時の僕は、変に甘えないようにしていたり、嫌われないようにしていたんです。ただでさえめったに会いに来てくれないのに、お母さんにわがまま言っちゃうと、嫌われちゃって本当に二度と来なくなるんじゃないかって。

 でもその日、お母さんと一緒にいる時間を少しでも延ばしたくて「ジュースが飲みたい」とねだったんです。デパートの上の自販機でジュースを買ってもらって。カルピスのつぶつぶミカンを、ちょびちょび時間をかけて飲みました。

幼少期の古原さんと母親のツーショット写真(写真=古原靖久さん提供)

ヤンチャだった父親と「喧嘩別れ」した経緯

――子どもながらに、お母さまとはもう会えないかもしれないと感じていたんですね。

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古原 だからこそ、次の約束を取り付けたかったんです。それで最後、僕が「次はポケモンの福袋がほしい」と言ったらお母さんは「わかったよ」と言ってました。それが最後の言葉でした。いやでも、まさか本当にあれが最後になるとは思わなかったなあ。

 お母さんもずるくって、それまで半年に1回とか、たまに来ていたから僕も「まだ来てくれるんじゃないかな」って待ち続けたんです。でも1年経っても来ない。2年経っても来ない。それで「あ、これはもう来ないな」って。捨てられたんだって認識できるまで、それくらい時間がかかったんです。

――その後、お父さまには会わなかったのですか?

古原 お母さんとの縁が切れたあと、中学生の時に会いました。でも、会ったらもう最悪ですよ。お父さんが今までの分を取り返そうと、めちゃくちゃ厳しくて。一番言われて嫌だったのは、「おまえ、勉強しろ」と。お父さんが昔ヤンチャだったから、僕にはそうなってほしくなかったみたいで。

 でも僕は、お母さんから、お父さんがヤンチャだったことを聞いてたから、当時は「なんでこの人に怒られなきゃいけないんだ」という思いが強かったです。反抗期だったのもあったし、それでお父さんのことを嫌いになって。最後は喧嘩をして、それ以来ずっと会ってないですね。

 

本名で芸能活動をしている理由

――古原さんは本名で活動をされていますが、それはお母さまに見つけてほしいという思いからだったそうですね。

古原 どこかで見てくれてるんじゃないかって思って、本名で芸能活動を始めました。お母さんは僕を捨てたんですけど、結果的には感謝している部分があって。彼女は僕のことを堕胎することもできたはずなのに、そうしなかったんです。