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「お母さんは16歳で僕を産んだ」「何日もオムツを替えられず放置され…」“戦隊俳優”古原靖久(37)が明かす、児童養護施設に入った経緯

古原靖久さんインタビュー #1

2024/01/27
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 2005年に人気ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で俳優デビューし、2008年2月から放送されたスーパー戦隊シリーズ『炎神戦隊ゴーオンジャー』(テレビ朝日系)で主演を務めた俳優の古原靖久さん(37)。

 古原さんは、高校を卒業するまで児童養護施設で暮らしていた過去を持ち、YouTubeや講演会などで自身の経験を発信している。そんな彼に、児童養護施設に入所するまでの経緯や、当時の施設での生活状況などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/2回目に続く)

俳優の古原靖久さん ©深野未季/文藝春秋

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「僕はお母さんが16歳のときに産んだ子ども」

――古原さんは児童養護施設のご出身とのことですが、施設に入所するに至った経緯を教えてください。

古原靖久さん(以下、古原) 僕は、お母さんが16歳のときに産んだ子どもで、お父さんの年齢は忘れましたが、とにかく若い両親に育てられました。5歳くらいから児童養護施設に入ったんですけど、一番古い記憶は3歳くらいのとき。

 両親と住んでいた家で、お父さんが飲んでいたビールの缶を、僕が倒してこぼしてしまったことがあったんです。そうしたらお父さんが「これを飲め」と言うので、僕は机の上のビールを飲まないといけなくて。

――飲んだのですか。

古原 すごく苦かったことを覚えています。僕は性格的に、じっと座っていたり、ずっと同じ場所にいたりするのが苦手なんですよ。でも幼い頃は、両親に「じっとしてなさい」みたいなことを言われたら、言われた通りにずっと座っていたらしいです。今の僕からしたら考えられない。

 当時はお父さん、お母さんに嫌われたくないという気持ちがあって、2人の言うことをちゃんと聞いていたんだと思います。だからビールも飲んでしまったのかな。

 

両親の離婚後、児童養護施設に入所

――ご両親はどういう人たちでしたか?

古原 うちはお父さんとお母さんが2人とも夜の仕事だったのであまり家に帰って来なかったんです。そうすると、たまにおじいちゃんが遊びに来た時に、僕のおむつが何日も替えられていないことに気が付いたり。「おい、何日もおむつ替えてないじゃないか」と両親が叱られている姿を見た記憶があります。

 あとはお父さんとお母さんが大声で喧嘩していたのをすごく覚えています。そういう家庭環境で、放置されながら育ったみたいです。

――いわゆる育児放棄(ネグレクト)状態だったのですね。それで養護施設に?

古原 養護施設に入ったのは、両親が離婚したあとです。当時19歳だったお母さんが僕を引き取って、夜の仕事でお金を稼ぎながら育ててくれました。

 ただ、最初は無認可保育園を転々としてなんとかやっていたようなんですが、お母さんにとって、ひとりで育児するのはかなりきつくて、「無理だ」となったみたいで。そこから、児童養護施設に入りました。

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