最初は母親が面会に来てくれたが…
――養護施設に入った当初は、どのような心境だったか覚えていますか。
古原 また新しい保育園か何かに移ったのかな、と思っていました。そうしたら違ったわけですが。お母さんは、最初のほうはちょこちょこ面会に来てくれていたんですが、それが半年に1回、1年に1回と頻度が減っていって。ついに来なくなったのが小学5年生のときです。
自分が「捨てられた」とわかるまで、それから2年くらいかかりました。今思えば、当時は現実を受け入れられなかったんだと思います。
――養護施設に入所した当初の印象はどのようなものでしたか。
古原 一番最初に抱いたのは「怖い」という感情でした。入所前、お母さんに連れられて養護施設の見学に行った時、お母さんから「そのへんで遊んでおいで」と言われたんです。
僕は初めて会う子とも仲良くなるのが早かったので、施設にいた子たちと「かくれんぼ」をしていたのですが、押入れに隠れていたら急に、体格のいい職員の人に引きずり出されて。「おまえ、どこの子だ」とめちゃくちゃ怒られて、すごく怖かった。
そのA先生とは入所後も、ものすごくいろいろありました。出会いも最悪なら、その後も最悪という感じで。
先生たちに嫌われていたため、洗濯物は全て自分で洗濯
――すごく厳しい方だったのでしょうか。
古原 厳しい、といいますか、僕は目を付けられていたので、すごく理不尽な怒られ方をしていました。何かあると正座をさせられて、朝の8時から夜中の3時まで正座させられたこともあります。
――A先生はなぜ古原さんに目を付けたのだと思われますか?
古原 僕は間違っていることや理不尽なことで怒られた時に「ごめんなさい」と謝れなかったし、顔にも出てしまうんです。当時その養護施設では、「いかに先生に目を付けられないか」が重要で、先生たちからの指示に従うことができる子が勝つというか、生きやすい環境だったと思います。僕にはそれができなかったから、先生たちの間でずっと嫌われ続けていました。
――ほかの先生たちとの関係も良くなかったのですか?
古原 はい。僕は「自分の服は自分で洗濯しなさい」と言われて、小学校何年生かまではずっと、バスタオルから服から靴下から、全部自分で洗濯板を使って洗濯していました。一部の先生は、他の子たちへの見せしめにもしていたんじゃないかなと、今になって思います。