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小5で生き別れた母が死去、手紙には「会う資格がない」と…児童養護施設出身の戦隊俳優・古原靖久(37)が語る「家族」への想い

古原靖久さんインタビュー #3

2024/01/27
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 2005年に人気ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で俳優デビューし、2008年2月から放送されたスーパー戦隊シリーズ『炎神戦隊ゴーオンジャー』(テレビ朝日系)で主演を務めた俳優の古原靖久さん(37)。

 古原さんは、高校を卒業するまで児童養護施設で暮らしていた過去を持ち、YouTubeや講演会などで自身の経験を発信している。そんな彼に、母の死に直面したときの心境や、自身の生い立ちを公表した理由、家族の問題に悩む人々へのメッセージなどを聞いた。(全3回の3回目/1回目から読む)

俳優の古原靖久さん ©深野未季/文藝春秋

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母の死を受け入れられなかった理由

――お母さんが亡くなられたことを知ったとき、どのような気持ちでしたか。

古原靖久さん(以下、古原) 受け入れちゃうと心が壊れちゃうような気がして、だから多分受け入れないようにしていました。「いや、だってお母さんは今まで元々いなかったじゃん」みたいな。お葬式にも行ってないし、顔を見てないから、今でも「どこかでまだ生きてるんじゃないかな」くらいに思っています。死んだことを認識してはいるけれど、受け入れていないような。

――お母さんは実際、古原さんの活躍を見ていたのでしょうか。

古原 見てくれていたそうなんですよ。亡くなった後に手紙なんかがいろいろ出てきたらしくて、「やっちゃんがすごく頑張っている」みたいなことが書かれていて。「すぐそこにいるけど会えない、会いに行く資格がない」といったことも書いてあったらしいと聞いたんですけど、僕、そのへんの記憶もぼんやりしていて。

 きっとその記憶が「お母さんが死んだ」という事実に直結してしまうから、思い出せないんじゃないかな。約4年前の話だから結構最近なのに、お母さんのことになるとあんまり覚えていないんですよね。

 

――傷つかないために、そうやって生き抜くしかなかったと言いますか。

古原 そうかもしれません。僕、そういう生き抜く力みたいなのをすごく身に付けてきたように思っていて。それは育った環境がそうさせたというのも、もちろんあるんですけど。

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