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「どうせ無理でしょ」「経営はボランティアではできない」そして減り続ける人口…逆境を撥ね返し北海道の小さな市の書店が人気を集めるまで

『本屋のない人生なんて』より

2024/03/21

genre : ライフ, 社会

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 現在、美穂子は留萌ブックセンターで経理を担当するパート社員だ。そしてこの店は、留萌ブックセンターという名前ではあるが、東京・神田神保町に本店を構える三省堂書店の支店だ。今が個人事業主として三省堂書店と契約し、美穂子をはじめ6人のパート社員は今と契約して働いている。

トラックの運転手から本屋に転職

 2011(平成23)年夏の開業時から今は店長を務め、10年を迎える。その10年を今はしみじみとこう振り返った。

「ほんとにね、『応援し隊』の人たちのおかげ。あの人たちが誘致してできたこの本屋を大事にしなかったらとんでもないこと。あの人たちから預かった本屋をなくしてはいけないという思いでやってきたよねえ」

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 だが今は、帰郷してすぐに書店員になったのではなかった。

 稼ぎを得るためまずトラックのハンドルを握った。運送会社で働きながら毎日のように本屋に通い、資格取得参考書から思想書、哲学書、自己啓発本までじっと棚を眺めた。そのうちに、自分が本のある空間にいることが好きなのだと気づく。そういえば、東京でも休みの日に神田神保町の古書街に足を運んだものだった。

 ある日、今は本屋の片隅に求人の張り紙を見つけ、すぐに履歴書を出して採用された。仕事は学校や官公庁、美容室、病院、家庭への本の販売や配達を行う外商だ。今は百科事典のセールスで力を発揮した。

「車の後ろに百科事典を積んでまず友達の家に行ったんだよね。小さな子どもがいたから、子どもの勉強に役立てばって、買ってくれた。親心だよね。そのうちに、うちもほしいわ、って声をかけてもらうようになった。住宅街で、車の後ろの扉を開放して、手に取って事典を見てもらえるように工夫したこともあった。そうやっていたら、バンバン売れるようになったのさ」

インターネットの影響で本が売れなくなり、会社が倒産

 百科事典が一般家庭に普及し始めたのは昭和30年代。応接間の本棚に飾るのはステータスだった。留萌では今のセールスにより百科事典の売上が急伸し、今は出版社からトップセールス書店員として褒賞され、東京ドームのプロ野球観戦旅行に招待された。だがその後、1990(平成2)年にはブリタニカ百科事典が売上のピークを迎え、パソコンやインターネットの普及とともに百科事典ブームは終わる。

 北海道は北海道庁により14の行政区域に分けられている。そのひとつ、留萌振興局は留萌市に置かれ、北海道の西岸を管轄する。留萌市には他にも陸上自衛隊留萌駐屯地や市立病院があり、人口のおよそ2割を公務員が占める。官公庁向けの定期刊行物や、医療業界の専門誌、専門書など、本の配達へのニーズがあり、外商の仕事は忙しかった。今は学校の職員室にほとんどフリーパスで出入りして本を届けた。2000年代に入り、インターネットの影響で外商の注文が減ってきたと感じてはいたが、今は専ら店の外を走り回っていたため、会社の内情にうとかった。そしてある朝、書店主は今を含む書店員たちに淡々と倒産を告げた。