出版不況と言われて久しいものの、それでも新しい「本屋」を開く気骨ある店主たちがいる。なぜ彼らは書店に自らの人生をかけるのか――。ここでは三宅玲子氏が全国の書店を訪ね歩いたノンフィクション『本屋のない人生なんて』(光文社)より一部抜粋。北海道で「留萌ブックセンター」をオープンさせた人々の情熱に迫る。
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独立書店を訪ねる取材は2019(令和元)年秋に始まった。オンラインニュースメディアでの連載はそろそろ一年が経とうとしていた。その間に訪れた10軒ほどの書店は、主がひとりで営む店、夫婦で書店とカフェを商う店、十数人の書店員が働く地域の一番店など、ひとつとして同じ形態はなかった。他県から足を運ぶファンもいる選書に特徴のある書店があれば、小さな子どもから老人まであらゆる世代に親しまれる書店もあった。本という商品は、どこで買っても中身は変わらない。しかもものによってはかさばるし、重いものだ。自宅まで届けてくれるアマゾンで買えば手間いらずなのに、わざわざ通ってくる客がいる。
書店には本を買うだけにとどまらない何かがある、そのことを考えないわけにはいかなかった。その場所を維持するためにボランティアまで組織されたという留萌ブックセンターには、書店がなぜ求められるのかの答えを探すヒントがあるかもしれないと思った。
様々なジャンルの本を揃える留萌ブックセンター
掛川から戻り、留萌に電話をかけたのは、11月のことだった。店長は、私が九州の出身だと伝えると、積雪する冬の間は来ない方がいいと告げた。そろそろ雪が降り始める。そして3月の雪解けまで1メートル近い雪が降り込めるのだと説明する店長の低い声を受話器越しに聴きながら、まだ訪ねたことのない雪の町を想像した。こうして冬をやり過ごして春を待ち、今、留萌にたどり着こうとしていた。
「遠いところをようこそ」
駅に降り立つと、店長の今拓己が待ってくれていた。小柄でがっしりとした身体に青いエプロンが決まっている。
留萌駅から東へ約3キロ、留萌ブックセンターは、車が100台は止められそうな駐車場のある国道沿いのショッピングセンターの一角だった。在庫10万冊という店内は150坪。店に入るとまず新刊が平積みにされた台があり、雑誌とコミック、文庫の棚。奥には単行本、新書、学習参考書、児童書と全てのジャンルを揃えている。レジそばの春の園芸を特集した棚は、雪の降り積もるこの土地の人たちの、新しい季節を待ち望む気持ちを反映しているのだろう。
実は東京・神田神保町に本店がある三省堂書店の支店
「よくいらっしゃいました」
事務所で今の妻美穂子が熱いお茶を勧めてくれた。
「東京はもう暖かい頃でしょうか。それに比べたらこっちは寒いでしょう。でも、私たちも前には東京に暮らしましたけど、やっぱり留萌がいいねえって話すんです」
今と美穂子は道立留萌高校の卒業生だという。二人が高校生だった1970年代は、地方の若者は貴重な戦力で、都市部から多くの企業が地方の中学や高校にリクルートに来ていた。1949(昭和24)年生まれの今と2歳年下の美穂子は、ともに東京の住宅設備販売会社に就職した。高校時代には面識がなかったふたりは、会社で知り合い交際を始める。結婚して子どもが生まれ、今が30歳のときに故郷に戻った。