2011年、暴力団との違法交際がきっかけで引退した、元タレントの島田紳助さん。この記者会見はヤクザ社会にどんな影響を与えたのか? 山口組系組長から更生を果たし、現在は暴力団員の更生支援のために活動するNPO法人五仁會(ごじんかい)代表の新刊『極道ぶっちゃけ話「山口組四代目のボディガード」の半生記』(清談社Publico)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

2011年の引退会見では目をうるませた島田紳助さん ©時事通信社

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「暴力団」で思い出すのはタレントの島田紳助さんの引退劇だろう。

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 2011年8月、紳助さんが突如「暴力団員との交際」を理由に引退を発表した。

 涙ながらに「法に触れることはしていないが、とにかく暴力団員との交際は許されない」というようなことを繰り返していた。その後も何度か芸能界への復帰が取り沙汰されているが、本人にその気はないようである。

 紳助さんと大物やくざとの「関係」は以前からマスコミもたまに取り上げていたし、当時も何人かの実名が報道されていた。しかし、本人が「犯罪行為はしていない」と言うのだから、とくに騒ぐことでもない。

 むしろ、この年の10月に東京都が暴力団排除条例を制定し、全国の都道府県で条例が出そろい、日本のやくざの転機になったことのほうが重要である。

 1992年に暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が施行されたが、20年近くたっても「暴力団」が存在していることを問題視した警察庁が「奥の手」としてつくったのが暴排条例なのだ。アメリカの圧力もあったと聞く。

 暴力団員を取り締まるのではなく、「暴力団員と交際する人間」を取り締まることで社会から暴力団員を排除していこうという趣旨である。たとえば知り合いのやくざとゴルフに行った会社経営者が「密接交際者」として会社名や氏名を公表されるというようなことだ。

 紳助さんの会見は一般のみなさんになじみのなかった「暴力団排除」や「密接交際者」という言葉を刷り込むのに成功したと思う。この会見と条例の制定から5年を経て、暴排は全国的に浸透しているのだ。こうして、やくざとつきあったり、トラブル解決を頼んだりするカタギは減ったのだ。いまはよほどのことがないとつきあわないし、やくざのほうもカネのある人間以外には興味がない。何かの用事で会うにしても、大都市で会うと目立つので、わざわざ地方のホテルなどでこっそり会うことも増えている。