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〈写真多数〉火薬によって皮膚がかぶれ、髪の毛が黄色く着色する…京都府舞鶴市の山奥に眠る“兵器工場”跡地を探索してみた

2024/03/31

genre : ライフ, 社会, 歴史,

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ごくわずかしか残っていない“兵器工場”

 火薬廠というのは、大日本帝国海軍の兵器に使用する火薬類を製造していた兵器工場のことだ。戦後、火薬廠の多くは解体されたが、第三火薬廠のうち山間部にあった数十棟は、当時のままの姿で残っている。

火薬類を製造していた兵器工場

 7600万平米の広大な敷地に300ほどの建物が点在し、砲弾や魚雷、特攻兵器回天などの爆薬を製造していた第三火薬廠。最盛期には5000人が従事していたが、今となっては全く人の気配がない。草木に覆われ、スプレーによる落書きが目立つ戦跡は、夢の跡を象徴しているようにも見えた。

赤れんがパークとは打って変わって朽ちている戦跡

 軍用保管庫をリフォームし、オシャレなカフェに多くの観光客が賑わう赤れんがパークと同じ舞鶴市にある戦跡なのに、こうも違うものかと衝撃を受けた。貴重な戦跡が朽ちていいのかという思いと、廃墟が醸し出す廃退的な魅力。様々な感情が交錯する。

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 すっかりこの場所に惹かれた私は舞鶴に滞在し、翌日の予定を変更して引き続き第三火薬廠を探索することにした。

 翌日、近くの公園内にも当時の建物が残っていると知り、その場を目指してみると、近接する青葉山ろく公園内に、確かに同じ構造の建物があった。

かつて火薬を製造していた戦跡の敷地跡にバーベキュー場が

 しかし、状態はまるで違っていた。仕切られた横長の建物はピカピカに整備され、なんと、バーベキュー場になっていたのだ。

 火薬を製造していた戦跡の建物内で、火を焚いてバーベキューを楽しむ。注目されることなく朽ち果てていくよりも、何らかの形で活用されるほうが良いのだろうが、これは予想外すぎる生まれ変わり方だ。

 なお、周辺に戦跡であることを知らせる看板などはなかった。ここでバーベキューを楽しむ人たちも、ここが第三火薬廠であることなど知らないまま帰るのだろう。