日本海に面し、海の交通の要所として発展を遂げてきた京都府舞鶴市。かつては海軍の港が置かれ、今も海上自衛隊の基地を構える同市には、数多くの戦争遺跡が残されている。
2016年、それらの一部は、鎮守府が開庁されていた横須賀、呉、佐世保とともに日本遺産に認定された。近代化に向けて躍動した軍港都市への注目度は高まっており、今や年間200万超の観光客が訪れているという。
現在、観光の中心を担っているのは、海軍の保管倉庫だった建物群とその周辺を整備した“赤れんがパーク”。戦争遺跡がリフォームされた建物には、オシャレなカフェやショップ、博物館などが入っている。
そんな華やかな赤れんがパークとは対照的に、ほとんど注目されることなく静かに藪に飲まれている戦争遺跡が、同じ舞鶴市にはある。
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朽ち果てていく“戦争遺跡”
2023年1月、私はその戦跡を訪れた。
うっそうとした竹林を車で走り、倒れかかった竹をかき分け、メキメキと音を立てながら通過する。
左手には、ひと目で廃墟と言わざるを得ない状態の建物がいくつも並んでいる。
横に長いコンクリート造りの平屋建物が細かく仕切られ、多くの小部屋が設けられていた。張り巡らされた大小様々なダクトは錆びて朽ち果て、落ちてしまっている。壁にはスプレーで描かれたとみられる落書きも目立つ。
廃墟と化した戦跡を横目に進むと、これまで見てきた横長ではなく、正方形に近い建物が見えてきた。見るからに色褪せて古びてしまっているコンクリートの中を覗くと、床に水が溜まり、池のようになっている。
戦争のために造られた人工物が自然に還ってゆく過程を見ているようで、不思議な光景だ。
ここはかつて“第三火薬廠(かやくしょう)”と呼ばれた場所だった。