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「野球をやっていていいのだろうか」能登を背負った球児「日本航空石川」が甲子園に立つまでの「葛藤」と親の「内心」

「野球をやっていていいのだろうか」能登を背負った球児「日本航空石川」が甲子園に立つまでの「葛藤」と親の「内心」

日本航空石川センバツ出場秘話#1

source : 週刊文春Webオリジナル

genre : ライフ, 社会, スポーツ, 教育

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新3年生の遊撃手・北岡颯之介くんは富山県高岡市から

 新3年生の遊撃手・北岡颯之介くんも富山県出身の選手。高岡市から能登の航空石川の門を叩いた。父の保さんが言う。

「元日の高岡市もこれまでに経験したことのない揺れでした。息子はしばらく自宅で過ごし、1月15日から山梨に移動しました。事前に監督さんが輪島に行き、学校からグローブやバットなど最低限の道具は運び出してくれましたが、練習用のユニフォームやソックスなどは買い直しました」

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 山梨キャンパスに集合した野球部員たちは、空いた教室に地元企業が手掛けた災害用の段ボールベッドを敷き詰めて寝泊まりし、廃校になった高校のグラウンドを提供してもらって練習を再開。温かい炊き出しや差し入れなど、地域の人々から手厚い支援を受けた。

 だからこそ航空石川野球部は、何度も自問自答を繰り返した。

「自分たちだけが大好きな野球をやっていていいのだろうか」

チームモットーは「笑顔」「感謝」「恩返し」

 学校のある輪島市をはじめ、被害の甚大な能登は、復興とは程遠い状況にあった。保さんが続ける。

「選抜出場が決まってから、SNSには『被災枠』と書かれたりしましたし、被災地を背負ってプレーしなければいけないのは可哀想やな、と思っていました。部員たちは、自分たちはどうすべきかと何度もミーティングを重ねて、3つのチームモットーを決めたそうです」

 それが、ナインの帽子のつば裏に黒のマジックペンで力強く綴られた「笑顔」「感謝」「恩返し」の言葉。「石川県のために」「共にがんばろう石川」という文言も添えられている。苦しい時は、これを見て戦おうと決めた。8回表の常総学院戦の窮地。福森くんはマウンドでこの誓いを思い出すよう、メンバーに伝えたのだ。

「笑顔」「感謝」「恩返し」の言葉 Ⓒ文藝春秋

 試合はあと一歩及ばなかったが、保さんは精いっぱい戦った息子を誇らしく思った。

「息子は身長がそれほど高くないのですが、甲子園でプレーする姿は大きく見えた。試合後、家族LINEに『楽しんでやれたようでよかったな』とメッセージを入れると、本人から『ありがとう』と返事がきました」(同前)