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「プロで通用しない」「海外なんて無謀だ」高校時代無名だった長谷部誠(40)は、なぜサッカー選手として大成できたのか?

『心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣』より#2

2024/05/18
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 今季限りで22年間の現役生活に終止符を打つ、サッカー元日本代表の長谷部誠。類まれなリーダーシップを発揮し3大会連続でW杯キャプテンを務めた名選手が、2011年に記したのが累計部数155万部を突破した『心を整える。 勝利をたぐり寄せるための56の習慣』(幻冬舎文庫)である。

 ここではその中から一部抜粋し、高校時代無名だったプレーヤーがサッカー日本代表として輝くまでの日々を振り返る。(全2回の後編/前編を読む)(著者同意の下、一部表現を変更しております)

©文藝春秋

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迷ったときこそ、難しい道を選ぶ。

 人生の岐路に立たされたとき、どんなに自信があっても迷いは生まれるものだと思う。

 もし失敗したらという不安。まわりからの反対。挫折することへの恐れ。どうすれば成功するかという確固たるノウハウなんてないし、人それぞれの道の選び方があると思う。

 では岐路に立ったときに、僕は何を大切にしているのか。 

 もちろん、まだこれだと自信を持って言えるものは見つかっておらず、今なお模索中だけれど、ひとつだけ意識していることがある。

 それは「あえて難しいと思った方を選択する」ということだ。 

 ここまで歩んできた道のりを振り返ると、挫折欲があるのかなぁと思うほど、僕は迷ったときに難しい道を選択してきた。周囲からしたら無茶な決断ばかりで、どこかで一度でも失敗していたら、今頃、何をしていたか分からない。両親は常に僕が選ぶ道に反対したし、実際、自分が親だったら同じように反対したと思う。

 怖いもの知らずというよりはただの無謀だった。

 しかし僕は知っている。難しい道ほど自分に多くのものをもたらし、新しい世界が目の前に広がることを。

©文藝春秋

高校受験「藤色」のユニフォームに憧れて

 最初の岐路は高校受験だった。僕は決して勉強が得意だったわけではなく、両親は私立大学の付属高校に進むことをのぞんでいた。サッカー部も強かったし、何より付属なので大学までの進学を計算できる。担任の先生も両親と同じように付属高校を勧めた。

 しかし僕は静岡県立藤枝東高校に行きたかった。

 藤枝のサッカー少年にとって、藤枝東高校サッカー部の「藤色」(薄い紫色)のユニフォームは憧れ。藤枝東高校は地元一の進学校でもあり、当時の僕の学力では入学は難しいことは分かっていたけれど、サッカーをやるなら藤枝東がよかった。

 僕は両親に「絶対に藤枝東に合格する」と宣言して、中3の夏から猛勉強を開始した。僕の勉強法はサッカーの練習と同じで集中力重視。夜更かしはせず、きちんと睡眠を取り、朝起きて集中して勉強する。そして僕は何とか藤枝東に合格することができた。

 合格発表で自分の受験番号を見つけたときは、今考えると恥ずかしいのだが、なんと母親と抱き合って喜んだものだ。