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「あいみょんを懲戒処分後に聴きました」“白ブリーフ判事”の数奇な人生

裁判官・岡口基一インタビュー #2

SNSでの発信を理由に初の懲戒処分を受けた東京高裁の岡口基一裁判官。その異色すぎる活動の背景にあるライフヒストリーとは一体どんなものなのか? 知られざる実像に迫ってみました。(#1のつづき)

東京高等裁判所、第22民事部 岡口基一裁判官

「仏の里」の牧師の家だから、もう大変な貧乏で

――なぜ裁判官になろうと思われたんですか?

岡口 家が貧しかったんです。それで、将来親の面倒を見ることを考えると人生で失敗ができないという思いが子どもの頃から強かったんですよね。だから公務員になったということです。司法の道に進んだのは大学が法学部だったこともありますが、この世界ならまず堅いだろうと思って。

――ご実家は……。

岡口 大分です。国東半島にあるど田舎で、そこの牧師の家に生まれました。

――生まれ育ちは教会なんですか。

岡口 そうなんですけど、あのあたりは「仏の里」として有名な土地なんです。平安時代に建立された富貴寺という国宝建築もありますし、磨崖仏(まがいぶつ)もあったりね。だからクリスチャンがいるはずもないような場所なんですが(笑)、そこで教会なんかやっちゃったもんだから、もう大変な貧乏で。

 

学生運動の「礼拝堂封鎖」で祭り上げられた父の左遷

――どうして「仏の里」で教会を開いたんでしょうね。

岡口 うちの親父はもともと福岡中部教会という、日本キリスト教団ではエリートと言ってもいい教会にいたんです。ところが、学生運動の時に学生の信者たちが「礼拝堂封鎖」と言って、教会の礼拝堂の入り口にバリケード築いちゃったんですって。よくわからないんですけど、あの頃の学生はなんでも封鎖したがったんですね。で、親父はその首謀者に祭りあげられちゃって、教団から左遷された。それで大分に流されたんです。

――牧師の世界にもそういう「人事」があるわけですね。

岡口 左遷後は、牧師手当が月2万円みたいな世界なんです。これは将来、親の面倒見なければならなくなると覚悟して、堅い職に就こうと思っていました。大学は7年間在籍して、司法浪人を1年。それでやっと司法試験に受かって。