『ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光』(亀山郁夫 著)――著者は語る
『カラマーゾフの兄弟』の新訳など、新しい視点でロシア文学を読み解いてきた亀山郁夫さんが、今回、取り組んだのはソ連の音楽家の評伝『ショスタコーヴィチ』だ。ショスタコーヴィチは、一九〇六年にロシア・サンクトペテルブルグに生まれ、共産党政権が誕生後に音楽家として頭角を現した。その後、スターリンの庇護を受けつつ次々と交響曲などを発表し、ソ連を代表する作曲家となった。
「二十五歳のとき、ソ連を旅行中、ショスタコーヴィチの死を現地のテレビで知りました。メディアでは彼の死が大々的に取り上げられ、彼の作った交響曲が流されました。しかし、当時の私にショスタコーヴィチは、体制の御用音楽家に思えて、とても聞く気分にはなりませんでした。その後も、彼の音楽を避け続けてきました」
亀山さんは、一九九四年サンクトペテルブルグで行われた「白夜祭」で、偶然ショスタコーヴィチの交響曲第八番を聞き、みずからの間違いに気づく。
「予定調和的な音楽の概念を根本から覆す曲の作りに圧倒されました。彼の曲にはスターリン時代に人々が感じた心の傷が、リアリティを持って描かれているのです。私は『これは文学そのものだ』と感じました。確かに音楽家としての側面に光を当てた書籍は、数多く出版されていました。しかし、彼の作家性や時代背景を十分に捉えきれているとは思えなかった。文学者である自分が、文学研究の手法を使って彼の音楽と人生に正面から取り組むべきだと考えたのです」
スターリン体制下の芸術家のあり方を研究してきた亀山さんは、ショスタコーヴィチの人生の間に起った歴史的な事件を点として捉えず、大きな流れとして捉えるようにした。そのために、近年公開された資料やロシアで発表された膨大な資料を読み解いた。
「スターリンは粛清を繰り返す暴君でしたが、一方で芸術の力を信じ畏怖する独裁者でもありました。しかし、スターリンの死後、指導者となったフルシチョフは、芸術に関心を持たなかった。これによって、ショスタコーヴィチの孤立はいっそう深まるわけですが、しかし後世から見て、それは吉と出ます。最晩年の彼は、病に苦しみながら、次第に権力者ではなく自分自身と向き合うようになり、自己沈潜の極みともいうべき世界を構築していくからです。そんな芸術家の苦闘の日々を、自分なりに描ききることができたと思っています」