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恩師が語る、ヤクルト・小澤怜史がサイドスローでプロ初勝利を挙げた理由

文春野球コラム ペナントレース2022

2022/07/06
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トライアウトで三者三振、ヤクルトがオファー。サイド転向へ

「『トライアウト受けたいです』って言うから『じゃあ、それまでしっかりトレーニングして頑張れ』なんて言ってたんだけどさ。そしたら(トライアウトで)三者三振だったもんね。『これでオファー来るといいなぁ』って言ってたらヤクルトがオファー出してくれたもんで、もうヤクルト様々さ(笑)」

 新天地で新たなスタートを切った小澤にとって、小野寺力二軍投手コーチの助言により、昨年の9月からフォームをサイドスローに変えたことが大きな転機となる。横手に変えても球威は落ちることなく、一方で制球は安定。「特徴が出てきた」と首脳陣の見る目も変わっていった。

「オレが(オーバースローに)直させちゃったけど、もともと体の使い方がそうだったから、横からの方がよかったのかもしれないよね。フォームを見てもなんかしっくりきてたっていうか、やっぱり体の使い方がサイドスローなんだろうな」

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今年一軍に抜擢、6月に電撃支配下登録

 今年のキャンプでは一軍メンバーに抜擢された小澤は、開幕後はファームで24試合に登板して1勝1敗8セーブ、防御率1.30の好成績をマーク。残る枠は2つだけという狭き門をくぐり抜け、前述のとおり支配下登録を勝ち取る。

「怜史から電話がかかってきて『何だ、どうした?』なんて世間話をしてたら、『あのー、明日から一軍に帯同します』って言うから『それって支配下かよ!?』って(笑)。オレもずっと新聞をチェックしててさ、夏場にちょっとピッチャーがかったるくなってきた時に支配下にしてくれないかなぁなんて思ってたんだよ。そしたらそんな電話がきたもんだから、嬉しくなっちゃってさ」

「嬉しい話」はこれだけではなかった。支配下登録された6月26日、小澤は神宮で行われた巨人戦の3回表無死満塁のピンチで投入されると、これを無傷で切り抜けるなど4イニングを投げて2失点。自身に白星は付かなかったものの、上々のピッチングで勝利に貢献した。

小澤怜史

OB小澤の活躍は子供たちの目標に

「ちょうど(県大会)決勝戦の最中だったんだけど、(リトジャンの)子供たちに『怜史さんが育成から支配下になったんだぞ』なんて話をしたら『おおーっ!』とかって言っちゃってるわけだよ。で(決勝戦に勝って)優勝して『今日、投げたらしいぞ』って言ったら『すっげぇ!!』ってまたビックリしてるわけ。怜史もオフに時間があったりするとグラウンドに来てくれたりするんで、子供たちには1つの目標なんだよな。怜史が小さい頃は本当に普通だったっていうのが、また子供たちに希望を持たせるっていうかさ。ただ、普通だったけど一生懸命努力してたっていうのは、しっかり言ってるんだけどね」

 実は今年に入って、ハセガワくんのもとには小澤の件に限らず、吉報が次々と舞い込んでいる。3月には野球部のOB会長を務める日大三島高が、自身もメンバーに名を連ねた1984年以来のセンバツ出場。5月にはリトジャンが高円宮賜杯第42回全日本学童軟式野球マクドナルド・トーナメント静岡県大会で優勝して、初の全国大会出場を決めた。さらに小澤が支配下登録されて即登板した6月26日には、第10回しずちゅう旗静岡県学童軟式野球記念大会で優勝し、県2冠を達成している。

「相当厳しい練習をしてると思われてるんだけど、今は選手が11人しかいないからもう実際には甘々さ。ケガさせちゃいけないと思うから。だからオレももう全然丸くなっちゃってるよ(笑)。まあ、怜史がいた頃はまだまだ厳しくやってたけど、アイツは叱られるようなことをしなかったんだよね。兄ちゃんの方は自分勝手なことばっか言って叱ったこともあるけど、兄弟でも全然、性格が違って面白いよ。性格はお兄ちゃんの方がプロ向き。怜史は昔っからひょうひょうとしてたな」

プロ7年目で初先発初勝利

 その後、小澤は7月3日のDeNA戦(神宮)でプロ7年目にして初先発。5回を3失点にまとめると、打線の援護やバックの好守もあって、念願の初勝利を手にした。試合後、再びハセガワくんに電話を入れてみると──。

「いやぁ、嬉しいよぉ。本当によく頑張ったと思う。ソフトバンクを自由契約になって、トライアウトを受けてっていう頃のことを考えたらさ……なんか感無量だよね。アイツなりにいろんな思いがあって、頑張ってきたと思うからね。それしかないね。よく歯を食いしばってやってきたなって思う」

 言葉の端々からあふれる教え子への愛情に、思わずグッときた。そのハセガワくんは来月、リトジャンを率いて高円宮賜杯第42回全日本学童軟式野球マクドナルド・トーナメントの全国大会に出場する。開会式が行われるのは神宮球場。ここまでちょっと気取って「ハセガワくん」などと書いてきたが、かつては「ノリちゃん」と呼んでいた幼なじみに、その暁にはぜひとも再会したい。

 もっとも、こうして幼なじみと邂逅の機会を得ることができたのも、ノリちゃんの言葉を借りるなら「怜史の頑張りがすべて」。僕は今、わが後輩の小澤怜史にただただ感謝している。

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